【映画評】 権力構造の解体か再生産か 『ハンガー・ゲーム0』 河島文成

『ハンガー・ゲーム0』は『ハンガー・ゲーム』3部作の64年前を描く前日譚だ。パネムの独裁者コリオレーナス・スノー大統領の青年時代にスポットを当てる。一介の若者を悪の権化たらしめる物語は、ダース・ベイダーの誕生を描いた『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』と同じ作りだ。家族思いの若者が愛するものを失って憎悪に支配される点で、アナキン・スカイウォーカーとコリオレーナス・スノーは同じ運命をたどっている。

戦後まもないパネムは復興途上にあり、特権階級のスノー家も貧困に苦しんでいる。コリオレーナスは奨学金を得るため、第10回ハンガー・ゲームに教育係として参加する。しかし彼にあてがわれたプレイヤーは、歌うことしかできない小柄な少女、ルーシー・グレイだった。

戦闘力皆無のルーシーが、狭い闘技場で行われる肉弾戦の殺し合いをどうやったら生き延びられるのか? そしてどうやったら人々を魅了するショーを演じられるのか? そのために創意工夫を凝らして奔走する泥臭いコリオレーナスと、彼を信じて戦いに身を投じるルーシーの健気な姿は応援せずにいられない。本作一番の見どころだ。

3部作の主人公カットニスが直情的な戦士タイプだったのに比べて、ルーシーは駆け引きを得意とする戦略家タイプ。コリオレーナスを最初から手玉に取り、ゲーム終盤には蛇に絡まれながら歌う「憐れな歌姫」を演じ切って、みごと観衆を味方につけた。カットニスが女性参政権や男女機会均等といった明確な目標を掲げた第一波、第二波フェミニズムを体現しているとしたら、ルーシーはライオット・ガールに象徴されるより複雑化された第三波フェミニズムを体現していると言えるかもしれない。

原作小説の副題「少女は鳥のように歌い、ヘビとともに戦う」はルーシーのことを指すが、キリスト教関係者は「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(マタイによる福音書10章16節=新共同訳)を想起するかもしれない。ルーシーはそのように多面的な、ミステリアスな存在である。

コリオレーナスはこの時まだ、家族と自分の将来のために体制に挑む挑戦者でしかない。のちに悪の独裁者になると分かっていても、そのひたむきさに共感してしまう。本作で分かるのは、彼もまた体制に抑圧される被害者であり、少しでも良い生活を求める一般の人々と何も変わらないということだ。ここに被害者が加害者になる負の連鎖を見る。それは個人の悪というより、社会構造の悪である。

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『ハンガーゲーム』3部作に通底するメッセージは「権力を持つと碌なことがない」だった。体制側であれ反体制側であれ、イデオロギーが何であれ、組織である以上そこには権力構造があり、日々新たな抑圧や排除を生み出している。権力構造そのものを解体しなければ、負の連鎖を止めることはできない。カットニスはそれに気づいたからこそ、コイン新大統領を弓で射たのではなかったか。権力を否定した彼女の選択はアナキズムを見据えている。

しかしそういった権力構造の解体を目指すという理想の反対側に、「今ここ」で生活に苦しんでいる実存の問題がある。今日餓死するとしたら、明日の権力構造の解体にいったい何の意味があるというのか。そんな状況に置かれたコリオレーナスは、現体制の中でのし上がっていくことを決意する。その選択を安易に非難することはできない(もちろんそういう選択をし得る立場にあることもまた特権なのだけれど)。

社会全体の問題を解決するために身を挺して活動することと、その問題の中で一個人の幸福を追い求めること。その両者は時に対立する。どちらか一方を選ばなければならないこともある。終盤、コリオレーナスとルーシーは北へ逃亡するという第三の選択をするが、2人の間でも不穏な権力構造が発生し、結局パネムへ戻らざるを得なくなる。おそらくどこへ行っても、誰といても、同じ問題と選択にぶつかるのだ。この権力構造から逃れることは果たしてできるのだろうか。

キリスト教も同じ問題を抱えている。教会も権力構造から逃れることはできない。その変革に身を費やすか、あるいは自身の幸福と安寧のためにその構造の中で身を立てるか。そんなコリオレーナスと同じ選択が、彼ほど切迫した状況でないにしても、私たちキリスト者一人ひとりの目の前にいつも置かれている。

(ライター 河島文成)

【作品概要】『ハンガー・ゲーム0』
公開日:2023年12月22日(金)
監督:フランシス・ローレンス
出演:トム・ブライス、レイチェル・ゼグラー、ピーター・ディンクレイジ、ハンター・シェイファー、ジョシュ・アンドレス・リベラ、ジェイソン・シュワルツマン、ヴィオラ・デイヴィス
脚本:マイケル・レスリー、マイケル・アーント
原作:スーザン・コリンズ『ハンガー・ゲーム 少女は鳥のように歌い、ヘビとともに戦う』(KADOKAWA 刊)
製作:ニーナ・ジェイコブソン、ブラッド・シンプソン、フランシス・ローレンス
原題:THE HUNGER GAMES:THE BALLAD OF SONGBIRDS & SNAKES

【空想神学読本】 「ハンガー・ゲーム」が問う闘いの果て Ministry 2020年3月・第44号

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