【映画評】 教皇という孤独 『旅するローマ教皇』

教皇となり南米アルゼンチンからバチカンへ入った男の旅路へ、北アフリカの独立戦争下エリトリアからイタリアへ脱出した男が随伴する。就任後の9年間で実に53カ国を訪れた教皇フランシスコの〝旅〟へ焦点化する映画『旅するローマ教皇』でジャンフランコ・ロージ監督は、みずから教皇の旅をカメラに収める一方で、バチカンより提供された500時間もの記録映像からひと筋の流れをすくい上げ、一篇の物語へと編み上げる。その最終パートに置かれるのは、一人きりで身を屈め一心に祈りを捧げる、これまで公にされることのほとんどなかった教皇フランシスコの強い孤独を捉えた映像である。

2019年の長崎・広島訪問を含む世界各地への旅路の中でも、本作が特に重点を置くものに2013年のランペドゥーサ島訪問、および2021年の中東歴訪がある。ロージ監督は、バチカンを内包するローマの都市郊外を舞台とする2013年作『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』で、ドキュメンタリー作品としては初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を獲得した。教皇のランペドゥーサ島と中東への訪問は奇しくも、そのロージ監督が『ローマ環状線』の後、ランペドゥーサ島の難民模様を描いた2016年作『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』から、中東各国を撮る2020年作『国境の夜想曲』へ至る道のりに重なるものであった。

『海は燃えている』は導入部で、難民船からのSOS無線が伝える危機的状況がもたらす混沌とした騒擾と、島民側の清潔で静謐な生活空間とを対比的に描くが、この導入部映像とSOS無線の壮絶な声音とが『旅するローマ教皇』冒頭ではそのまま使用され、ロージ監督の作品履歴と教皇フランシスコの足跡とが互いに地続きであることが強調される。

また『国境の夜想曲』の取材地域には現在進行形の紛争地も多く含まれ、その美的に洗練された映像を批判の対象とする映画評は、公開直後少なくなかった。紛争や惨事を美しく描くことへ反倫理性さえ見出すこうした批判についてロージ監督は、しかしジャンルとしての〝ドキュメンタリー〟に対する偏見を鋭く読みとり、こう語る。

「ドキュメンタリー映画では、手ブレした荒々しい映像こそリアルだと高く評価される一方、例えばキューブリックの劇映画が美しいことを理由に酷評されることなどあり得ない。自身の重点はジャンルの別ではなく映像言語そのものにあり、この意味ではある記者が書いた《ロージ作品は戦争の悲惨を作品の内へ永遠に留めた》という評価が最もしっくりくる」

こうした監督の姿勢は、『旅するローマ教皇』にもブレなく当てはまる。製作期間中に起きたロシアのウクライナ侵攻によって、本作の構成は大幅な再考を迫られ、結果として終幕部ではフランシスコの祈りうずくまる姿が長回しで映し出され、祈りの言葉がしずかに囁かれる。「カインの手を制止なさったように、我らの行為を阻みたまえ、とどめたまえ」。それは冒頭部において、神への祈りを叫んで途切れるSOS無線の名もなき男の声音と見事に呼応する。

2014年にドンバス地方で紛争が勃発して以降、教皇フランシスコは事あるごとに世界各国で戦争の危険を警告してきた。にも関わらずそれはまた起き、フランシスコは苦悩を深める。ロージ監督は本作で、ローマ教皇の宗教面ではなく、政治的側面を捉えたかったと語る。世界のどの政治家にも不可能な仕方で政治的に活動するひとりの人間としての教皇フランシスコ。本作のすべては、明るく陽気な人柄で知られる現教皇が終幕で見せる、孤独の相へと集約される。それはイエス・キリストと一体となる喜びとはまた別の次元で現象する、社会的存在として唯一無二の「ローマ教皇」という役割を引き受けた者の孤独である。

(ライター 藤本徹)

『旅するローマ教皇』 “In viaggio”“In Viaggio: The Travels of Pope Francis”
公式サイト:https://www.bitters.co.jp/
2023年秋、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

*「イタリア映画祭2023」(東京会場:2023年5月2日~5月7日@有楽町朝日ホール、大阪会場:2023年6月10日~6月11日@ABCホール)で特別上映。

*ジャンフランコ・ロージ監督へのインタビュー記事は2023年秋ごろ掲載予定。

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