聖週の過ごし方──聖公会の場合 與賀田光嗣 【宗教リテラシー向上委員会】

勤務校では受苦日(聖金曜日)が休日である。この日を休日にしている日本の学校は珍しいそうだ。聖週(復活日までの1週間)を重視する校風由縁だ。それもあり、教職員には毎年棕櫚の十字架が配られる。各教職員の机上に棕櫚の十字架が見受けられるのも、本校ではなじみの光景である。

聖公会ではこの聖週を重視する。復活前主日には棕櫚の十字架が祝福され配布される。そのため、各教会には棕櫚の木が植えられていることが多い。余談ではあるがイギリスでは気候と信徒数の問題で、各教会だけで棕櫚の十字架を供給することが難しい。入手方法を調べたことがあり、ネット販売によると知った時は驚いたものだ。

この棕櫚の十字架はお守りのようなものではない。イエスがエルサレムに入城した際、人々は棕櫚の葉でイエスを歓迎した。それから1週間も経たないというのに、彼らの多くはイエスの十字架刑に賛同した。このような私たち人間の罪の問題と、十字架の贖い、復活の赦しを覚えるため、棕櫚で十字架を編み、約1年それを手元に置くのだ。復活前主日の伝統的な礼拝で、司祭や会衆が棕櫚の葉を持ち、行列を組みながら聖堂に入り、棕櫚の十字架を祝福して配布するのはそのためである。

CKSherrodによるPixabayからの画像

聖木曜日の午前中には、主教座聖堂で教区主教司式の聖餐式が献祭される。集まった司祭団は主教と会衆の前で、司祭按手の約束の更新を行う。主が使徒たちとともに初めて制定された聖餐を覚え、司祭として主の召し出しに献身を再び約束するためだ。司祭たちはその式で主教によって聖別された聖油(病者のための聖油)を持ち帰り、各自の教会で病床訪問などに用いる。

また聖木曜日の夕方には各教会で最後の晩餐、聖餐制定を記念した聖餐式が献祭される。その際、洗足式が行われる。イエスがされたように、司祭は信徒の足下に跪き、その足を洗いながら一人ひとりに「あなたがたに新しい戒めを与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネによる福音書13章34節)と言う。そして聖餐を分かち合う。この式の後、祭壇・聖卓や至聖所の装飾物が外される。祭壇・聖卓を覆う布を外すと、伝統的な祭壇・聖卓には四隅と中央に、つまり五つの十字架が刻まれていることが分かる。それは十字架での御手・御足・御脇の傷を象徴している。

聖金曜日には十字架の受難を記念して黙想が行われる。伝統的な3時間の黙想では、十字架の七聖語が一つひとつ読まれ、そのたびに黙想の時を持つ。その後に、十字架を外したり、黒い布で覆うこともある。また聖所灯(サンクチュアリ・ランプ=聖体が保存されている時に灯す。転じて、主の臨在を示す)を消灯する。空っぽの聖堂、主の不在、空っぽの主の墓が露わとなる。此岸の私たちにとっての主の不在は、彼岸の人々に主が訪れていることを意味する。主は世を去りし人々を慰められるために、彼らを再び起き上がらせるために、死へと降られたのだ。故に空の墓は主の復活を予感させる。

聖土曜日の午前の礼拝では、復活日に洗礼式がある場合、洗礼志願式が行われることもある。洗礼の約束の更新や、復活のろうそく(パスカル・キャンドル。パスカ=過越。転じて十字架と復活による「新しい過越」)の祝福が行われることもある。聖土曜日の夜半過ぎにはイースター・ヴィジルが行われ、復活を記念することもある。

そして日曜日、復活日を迎える。このように聖週は、私たち人間の時を、神の時へと招き入れる期間である。教派によって各々の伝統・形式は異なるが、復活日までの1週間をともに大切に過ごしていきたい。

 

與賀田光嗣(神戸国際大学付属高等学校チャプレン)
よかた・こうし 1980年北海道生まれ。関西学院大学神学部、ウイリアムス神学館卒業。2010年司祭按手。神戸聖ミカエル教会、高知聖パウロ教会、立教英国学院チャプレンを経て現職。妻と1男1女の4人家族。

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