聖霊の風 渡辺正男 【夕暮れに、なお光あり】

司馬遼太郎『街道をゆく』シリーズの『オホーツク街道』に、英国聖公会の宣教師ジョン・バチェラーに触れている文章があります。こんな一節が心に残っています。バチェラーの「後半生は、別人のようになった。アイヌを愛し、アイヌの父と言われた」。

バチェラーは、香港で体調を崩して行き詰まり、道を変えて日本に来たのでした。そして函館でアイヌの人に出会い、それから60年、アイヌの人たちに仕える人生を生きたのです。

私たちの歩みにも、懸命に励んでも行き詰まる。やむなく道を変える、そして思わぬ世界が開ける――そういうことがあるでしょうか。

私は、青森市郊外の雪深い里の伝道所に仕えている時、中心的な会員が次々と亡くなることがありました。信仰をまっとうしたのですから、感謝すべきことなのですが、しかし伝道所としては、重苦しい空気に包まれました。少数の伝道所が一層小さくなる。皆の気持ちが萎えてしまい、私も逃げ出したい思いになりました。

そんな時に、「聖霊から禁じられた」(使徒言行録16章6節)のみ言葉に出会いました。そして、この行き詰まりは「聖霊から禁じられた」のだ、つまり、なお聖霊の御手の内にある。見放されたのではない。今も主の計らいの内にある――そういう励ましの御言葉として受け止めたのです。

その後、伝道所は聖霊の風が吹いたのでしょう、不思議と元気を与えられ、新たな会員も加わり、「伝道所」から「教会」になりました。奥羽教区の総会で「教会」と承認される時、教会員がそろって総会会場に駆けつけて教区全体の祝福を受けたのです。みな泣き笑い、涙が止まりませんでした。

「聖霊から禁じられた」は、パウロの伝道の働きが進展せず、尻つぼみのように港町トロアスに下った時のみ言葉です。その「行き詰まりの象徴」のようなトロアスで、パウロは思いがけずマケドニア伝道の幻を見、新たにヨーロッパ伝道の道が開けるのですね。

青森の伝道所の行き詰まりは「トロアス」の経験であったのでしょうか。そこから、聖霊の風に背を押されて新たな歩みを許されたのだ、と思うのです。

以前出会ったこんな言葉が心に残っています。「私たちは直接マケドニアに行くことはできない。トロアスを経由して渡って行くのだ」「私たちは、他のどこからでもなく、トロアスからマケドニアを望み見ることができる」

 「イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た」(使徒言行録16章7~9節)

 

わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。

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