Q.個人的にどうしてもゆるせない人がいます。やはりどんな人でもゆるすべきでしょうか?(30代・女性)
敵に対する愛、無条件のゆるしを説く聖書の教えに触れて、私たちは困惑し反発します。あの人をゆるす? とんでもない。恨むことはあっても、ゆるすなんて……。キリスト者でも、不当な扱いをした相手をゆるせない苦悩を味わうことは多いでしょう。
もちろん、ゆるせない心にも積極的な意味があります。それは、正義を要求する魂の叫びだからです。犯罪は法によって裁かれなければなりません。不正は無関心に放置されてはならないのです(ローマの信徒への手紙13章1~7節)。
ただ、ご質問では個人的にゆるせない相手が存在し、その背後には喜びや誇りを奪われるような辛いご経験があったに違いありません。夫婦・親子・友人という、親しい関係ほど互いに傷つけやすく、憎しみが増幅されます。心の傷(トラウマ)は、肉体の傷以上に人を苦しめるものだからです。
ゆるしへの道とは……。まず造り主による裁きが貫徹されること、人間(私!)には裁く資格がないこと、次はキリストの無限のゆるしの光で、ゆるせない罪を認めることではないでしょうか。そして、十字架による絶対的なゆるしが自己を突き抜け、隣人に及ぶことを信じることでしょう。 ゆるしの主体が自分であるかぎり、人をゆるすことはできません。神の愛にすっぽり包まれて、はじめて私たちもゆるしのわざに、参加させられます。これは愛の御霊による奇跡です。
隣人をさばく罪を日々悔い改め、ゆるされた罪人として共に重荷を負い合うことができるよう、祈らずにおれません。
やまなか・まさお 精神科医、日本アライアンス教団千葉キリスト教会牧師。 1951 年高知県生まれ。高知高専、広島大学医学部、日本アライアンス神学校卒。日本アライアンス教団関東教区長。マザーズ・カウンセリング・セン ター(MCC)運営委員長。著書に『こころの診療室』(日本キリスト教団出版局)、『うつ病とそのケア』(キリスト新聞社)など。