【Road to えきゅぷろ2022】 「PR」と「エキュメニズム」

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私はメディア関係の仕事に携わっているが、先日とある企業が開催している「PRスクール」に参加する機会があった。企業の広報担当者が集まり、メディアに対して展開するプレスリリースの書き方を学ぶ場だったのが、そこで講師が繰り返し伝えていたのは、企業が売り込みたい商品やサービスを告知したらそれで終わりではなく、メディアや顧客との関係性を継続させ、売りたい商品の奥にある自分たちが大切している「価値」を伝え続けることが、「PR」の本質であるということだった。たいへん勉強になった反面、ああそうか、「PR」という言葉はずいぶん昔からあるのに、まだまだ一般的には広報や宣伝との棲み分けがし切れていないんだな、ということを実感させられた。

それは教会にも大いに言えることかもしれない。そもそも「PR」とは「Public Relations」の略。要は自分たちの本当に伝えたいことを伝えるためには、言いっぱなしで終わりではなく、社会や顧客との関係性の構築が最優先というわけだ。

Photo by Marjan Blan | @marjanblan on Unsplash

本当に伝えたいことを相手に理解してもらう、というのには時間がかかる。イエスは「多くのたとえで、人々の聞く力に応じて御言葉を語られた」(マルコ4:33)。神の国のことを、地上のどんな小さい種でも、蒔くと成長し、大きな枝を張るという「からし種」のたとえ話で語られた。たとえ話をされるのは、もちろんその奥にある福音を伝えるためだ。しかし種をまくためには、相手を理解し、腰を据えてじっくりと対話することが大切なのだということが、イエスの姿勢からは伝わってくる。

先日、エキュプロの広報ミーティングを行った。これまでSNSなどで一方的に情報を発信していた姿勢を、本来のPR的姿勢に大きく転換したいと提案したところ、スタッフたちは拍子抜けするぐらいすんなりと受け入れてくれた。よく考えたら我々は皆違う教派で、相手にあわせ、互いに自分の大切なものを伝える努力をしながら、関係を維持してきた。突き詰めれば「PR」と「エキュメニズム」は、意外と相性がいいのかもしれない。

(スタッフ・杉野希都)

【Road to えきゅぷろ2022】 えきゅぷろ的小考察~聖餐編 2021年6月11日

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