【映画評】 ことの葉の園 『王の願い ハングルの始まり』『ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語』

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木の絵を描くとする。クレヨンや絵の具からまず茶色を選び地面に立つ幹を描き、枝を伸ばし、緑色に持ち替え葉を描く。ごく自然にも思えるこうした描きかたの前提には、しかし木を「木」として、葉を「葉」として世界の他の部分から切り離す《言分け》の大系が作用していて、大系のありかたが異なれば描かれかたにも自ずと差異は生じる。言分けにより世界が初めて姿を露わすこの意味では、言葉はたしかに世界よりも先にある。

韓国映画『王の願い ハングルの始まり』は、ハングルの文字体系を創製した朝鮮第4代国王・世宗を主人公とする。朝鮮にはそれまで自国語を表す文字が存在せず、庶民の言葉とは発音も語彙も異なる中国の漢字を使えたのは上流階級に限られた。この状況を憂えた世宗は1443年、モンゴルのパスパ文字や仏典等で使用される梵字(サンスクリット)を参考に表音文字の体系《訓民正音》いわゆるハングルを制定した。

“나랏말싸미” “The King’s Letters”

多言語を解する仏教僧・信眉と世宗との間に、新たな文字規則を練り上げる過程で厚い信頼が育ちゆく描写は秀逸だ。実在の信眉大師が文字創製の現場へ直接関与した史実がないことは本作公開後の韓国で物議を醸したが、監督の狙いは明らかだろう。廃仏政策を幹とした儒教国家の首領でありながら臣下の反発も抑えて僧侶へ教えを請う国王と、下級身分へ貶められながら宮廷内への新寺建立を条件として王の依頼を受け入れる信眉とが対峙する構図はそれ自体、今日なお根強い儒教的権威主義志向や、市場主導で貧富の格差を加速化させる韓国社会への痛烈な批評性をその内へ宿らせる。

苦心の末完成された《訓民正音》を大半の重臣たちが拒絶し稟議の間を去る場面での、世宗演じるソン・ガンホの痛切な表情演技は忘れがたい。韓流ブームの嚆矢となった『シュリ』から直近の『パラサイト』まで韓国映画を牽引し続ける彼が、名優として世界的にも唯一無二の存在感を獲得した今この役を選んだ意味は小さくない。

“The Journey”

一方サウジアラビアと日本の合作アニメ『ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語』では、イスラームの視点からノアの洪水やモーゼの海割りが描かれる。武王アブラハ率いる象の軍隊が間近へ迫る商都メッカで、その暴虐に抗う防衛隊の一兵士を主人公とする本作において、ともすればアブラハの要求通り信仰を捨て奴隷となる未来を受け入れようとする人々を勇気づけ、奮起させる逸話としてノアの洪水やモーゼの海割りなどのエピソードが語られる。

よく知られるようにイスラームの聖典クルアーンは、アラビア語以外への翻訳を許容しない。岩波版ほか日本語の関連出版も、みな基本的に意訳や個人の解釈と位置づけられる。旧約聖書がどの国の翻訳版であれ「聖書」であるのとは対極の、言語的越境へのこうした拒絶的身振りの頑強さは神の言葉の唯一性・絶対性を担保するためと言えるが、この頑強さが本作においては聖典エピソードの映像化をめぐる極めて慎重な姿勢へと結実した。実在のアブラハが古代エチオピアから分岐したイエメン周辺の領地とするキリスト教国の王である点や、場面ごと変容するクルアーンと旧約聖書との温度差はたいへんに興味深い。

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いまや国際共通語《ANIME》としてジャポニスム期の浮世絵同様に他文化圏の表象へ深く影響する文化型式を獲得した日本アニメと、視覚的な具象表現を長らく排してきたイスラームの美的倫理との激しいつばぜり合いの痕跡が本作中には多く確認される。その結果、たとえばノアの洪水やモーゼの出エジプト記を映画化した近年のハリウッド映画作品群に比べ、全体としてかなり平板な印象を与える仕上がりとなった面は拭いがたい。この点に誠実さをみるか退屈さを嗅ぎとるかは観客次第だろう。

現代文明には属さない社会で育った子どもへクレヨンと紙を与えても、子どもは必ずしも木を木として描けないことを人類学の知見は教える。世界を分節化する《言分け》の様態は、文化そのものを醸成する。言分け以前の、ただ茫漠と眼前する世界にふと、一陣の風が吹き抜ける。木の葉がそよぐ。風にそよぐことで、木の葉は明瞭にその姿を現し木の幹や枝との差異を際立たせる。

この風の作用をカントは18世紀、《時間》概念を通じた直感による外界認識の一環として整理したが、そのような時間感覚による世界把握の積み重ねが言葉の連鎖からなる出来事の物語、すなわち歴史を育んできた。唯一の正しい歴史がどこかに存在するのではなく、歴史は常に語られ直され、今後も更新され続ける。そのようにして自らの来し方を物語る、すなわち言分けし直す長大な営みの一縷には違いない『王の願い』をたとえば眼前の一葉として、『ジャーニー』を隣り合う一葉として見渡す光景。コロナ禍収束後にいずれ描かれるのだろう、これら一葉一葉からなる巨樹の威容に想いを馳せる。

(ライター 藤本徹)

『王の願い ハングルの始まり』 “나랏말싸미” “The King’s Letters”
公式サイト:http://hark3.com/hangul/
6月25日(金)よりシネマート新宿ほか全国ロードショー

『ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語』 “The Journey”
公式サイト:https://journey.toeiad.co.jp/
6月25日(金)より東京・新宿バルト9、大阪・梅田ブルク7にて限定ロードショー

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