なぜ「昇天」したとわかる? 白井幸子 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

Q.教会で「昇天」という言葉をよく聞きますが、天国に召されたかどうかは神様しか知らないのではありませんか?(40代・女性)

キリストが私たちの罪を負ってくださったことにより、私たちは罪から解放され、朽ちざる命に生きる希望を与えられました。

「キリストの贖いによって、キリストを信じるものは死後、天の神のもとに召される」とは、聖書の中心的なメッセージです。「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」とパウロはいいます。

しかし、キリストが十字架の死を遂げられたのは、立派な信仰をもつクリスチャンのためだけではありません。彼らのために死なれたように、ごく小さな信仰をもつ人々のためにも死なれたのです。

キリストは十字架において愛する同胞であるイスラエル人に見捨てられ、弟子たちにも捨て去られ、父なる神からさえ見捨てられるみじめな死を遂げられることによって、すべての人の救い主となられました。

このキリストを信じるのにいかなる条件も必要とはされません。私たちの貧しさも、弱さも、力のなさも、よき業に欠けることも、信仰のなきことも、イエスの愛から私たちを引き離すものではありません。

ルカによる福音書によれば、イエスと同じ時に十字架にかけられた犯罪人のひとりは、死にゆく最後の時に、「あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください」とイエスに語りかけ、イエスから「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」(23章42~43節)という約束を与えられました。

私たちは、信仰においては取るに足りない者、行為においても滅びて当然の者ですが、このような者のために死んでくださったキリストのゆえに、新しい命をいただいて天の神の御もとに生きる希望をもつものです。

キリストの愛はすべてのキリスト者に、そして神によって造られたすべての人の上にあります。 キリストにあって、すべての人はやがて神に召される者となると信じるものです。

しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。

【既刊】『教会では聞けない「21世紀」信仰問答I -まずは基礎編』 上林順一郎監修

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