治療の始まりは治療の必要を認めること。病気も罪も同じ。【聖書からよもやま話194】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、   ダニエル書の8章です。それではよろしくどうぞ。

◆ダニエル書 8章25節

狡猾さによってその手で欺きを成し遂げ、
心は高ぶり、平気で多くの人を滅ぼし、
君の君に向かって立ち上がる。
しかし、人の手によらずに彼は砕かれる。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

現代の世界にもいますよね、狡猾に人を滅ぼすような人。あれやこれやと自分勝手な理屈をつけて他の国に勝手に攻め込んで、多くの人々を苦しめて平気な顔をしているような人。あえて固有名詞はあげません。あげてしまうと「その人が悪い!」と、問題が単純化され過ぎてしまう気がしますから。それに、今世界中の「敵」となっているその人以外にも、実はもっとずっと僕たちの身近にも同じ性質を持った人はたくさんいますしね。もしかしたら、僕たち自身もどこかに同じ性質を抱えているかもしれません。

そういう「敵」をなんとかしたい!という気持ちは多くの方が持っているかと思います。どうしたらその「敵」をやっつけられるのか、撤退させることができるのか、と頭を悩ませている方も多いかと思います。でも聖書には、そんな人は「人の手によらずに」砕かれると書いてあります。「敵」を撃退するのは最終的、あるいは決定的には人の知恵でも結束力でもなく、神様なのであるということです。もちろん、人が知恵を絞ることも結束することも大切なことです。でもそれだけでは「敵」を砕くことはできません。なぜなら、その知恵を絞る人自身も、結束する人たち自身もまた、多かれ少なかれ同じような性質をはらんでいるからです。もし誰かの知恵でその「敵」が破られたとしたら、きっと今度はその人が「どうだ、私の知恵はすごいだろう?」と高ぶることになってしまうでしょう。

自分の胸に手をあててみれば、「自分は狡猾ではないし、欺きもしないし、心は高ぶっていないし、人を滅ぼしたいなんて思わないし、神様に逆らったりもしないです、絶対に」なんて自信を持って言える人はなかなかいないのではないでしょうか。むしろ自信を持ってそう言えてしまう人が実は一番、狡猾で人を欺いて心は高ぶって・・・という人かもしれません。そんな人こそ、平気で人を滅ぼせるのかもしれません。

そして、自分の中にあるそんな性質を砕くのもまた、「人の手によらず」なんです。自分の中にある罪というのは自分の心がけとか努力とかによって消し去れるものではありません。もちろん心がけも努力も大切ですが、最終的あるいは決定的に罪を消し去ることができるのは神様だけなんです。自分自身で自分の罪を砕こうとするのではなく、神様に罪を砕いてもらうように祈ることが必要です。自分の罪を自覚し、神様に対して心を開くことが必要です。「自分には罪なんてない!」と主張している人の罪を、神様は砕いてくれません。「神様、自分のこの罪を砕いてください!」と心を開いて祈る人の罪をこそ、神様は砕いてくれます。
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ガンを切除するためにはまずガンがどこにあるのかを特定する必要があります。それを特定するためにはまず自分がガンであることを知らなくてはいけませんし、そのためには病院や健康診断に行って診察を受けなくてはいけません。日々聖書を読むのは、定期的に健康診断にゆくようなものです。悪いところをみつけて、治療を受けるとき、その治療をするのは自分自身じゃなくてお医者さんですよね。病気の治療はお医者さんの仕事、罪の治療は神様の仕事です。「自分がガンだなんて認めないぞ!」という人には、お医者さんも治療を開始できません。同じように「自分に罪があるなんて認めないぞ!」という人には神様も治療をしてくれないんです。患者さんが「先生を信頼してお任せしますからこの病気を治してください」と身を委ねる時、お医者さんはその力を最大限に発揮できます。神様もそうなんです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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