コーラをたらふく飲む夢をかなえたその後。【聖書からよもやま話81】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、マタイの福音書の5章です。それではよろしくどうぞ。


◆マタイの福音書 5章4節

悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるからです。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)


あまりに有名な箇所ですけど、すごいと思うんですよ、これ。自分の欲求を満たすことを「幸い」だと、人は思いがちですけど、そうじゃなくて、満たされない時にこそ「幸い」があるのだという、このことば。

子供の頃、コーラを思う存分に飲むことが夢でした。好きなだけ、たらふくコーラを飲めたらどんなに幸せだろうと思ったものでした。それは、大人になったらあっさりかなう夢です。1.5リットルのペットボトルで十分に満たせる夢ですから。せいぜい3〜400円の夢です。しかし、その夢を叶えてみて思ったことは「え?コーラってもっとおいしくなかったっけ?」です。コーラを思う存分に飲んだ後よりも、コーラをなかなか自由には飲めない時の方が、よっぽどコーラをおいしく感じていたのでした。むしろコーラをたらふく飲んでみた後には、それ以前のあのコーラのおいしさを感じられなくなったとさえ思います。僕は思う存分のコーラを得たことで、コーラの幸せの真価を失ってしまったのかもしれません。

思う存分にコーラを飲めない人は幸いです。その人たちはコーラのおいしさを誰よりも知っているからです。
お腹の空いている人は幸いです。その人たちはおいしい食事ができるからです。
欲しいものが手に入らない人は幸いです。その人は最もそのものの価値を知っているのですから。
かなわぬ恋をしている人は幸いです。その人は、その恋する人の魅力を余すところなく知っているのですから。
権力のない人は幸いです。その人は権力の力強さを誰よりも知っているのですから。

・・・と、このように、いくらでも応用が効きます。聖書の中で、この箇所以上に色々と応用が効く箇所はありません。

何かが手に入らない時、自分の何かが及ばない時、夢に挫けた時、それらは普通に考えたら「不幸」ですけど、よく考えてみてください、よく感じてみてください。それは実は何よりの「幸い」だったり、少なくとも「幸いの源」だったりはします。すべてが満たされる人生に、幸せはないんです。満たされない点があるからこそ、人は幸せになれるんです。


それではまた。
主にありて。
MAROでした。


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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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