大阪のクリニックからも突如雇われる 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第8回

1人の患者さんのケアを通して関東のクリニック、しかもキリスト教系でない一般の医療機関に、初のチャプレンとして雇ってもらった次の週。またしても予想もしていないような奇跡が起きた。

この日、私は大阪のコロナ治療の訪問医療チームの視察に来ていた。久々にガウンと防護マスクをつけて、自宅療養の人々を訪ねる。コロナ禍の死亡者数が日本一になってしまっていた大阪。病床数もかなり逼迫し、医療従事者たちは激務の中、走り回っていた。

緊急事態の時こそ心のケアをするチャプレンが必要なのだが、あまりにもの非常事態の中で新しいことを始める余裕などないことは一目瞭然だった。だが最前線で戦っている医療従事者たちに同行できたことは貴重な経験。「邪魔にならないよう、明日帰ろう」と考えていると、医師から「関野さん、今晩大阪のコロナ訪問診療に関わっている医療従事者たち向けにオンライン講演できますか?」と頼まれた。

このコロナ騒動の中で滅茶苦茶忙しい医療従事者たちが、チャプレンの話を聴いてくれるだけでありがたい。突然の展開ではあったがノートPCに向かって、アメリカコロナ病棟でのチャプレンの働き、日本の臨床での心のケア、看取りの必要性を1時間話した。画面の中には、会ったこともない医師や看護師、介護士たち30人ほどの顔が映し出されている。その中で画面の一番下にベテランの男性医師の顔が見えた。1日に何十人とコロナ対応をされたのであろう、この上ない疲労感が画面越しに伝わってきた。

オンライン上だからこそ、この医師の存在が私にとってプレッシャーになった。「この日本、大阪の逼迫した医療現場で日々奔走している医師に向かって、アメリカかぶれした牧師が語る心のケアの話など薄っぺらく聴こえるのだろうな……」。そう思いながらも与えられた1時間、全力で私は日本にもチャプレン、宗教者による看取りが必要なことを話した。

講演が終わると、若手の医療従事者たちが「良かった!」「日本にも必要ですよね! 機会があったら一緒にやりましょう!」と良いリアクションをくれた。だが、このような一般的なリアクションは次につながらないことが多い。またくよくよと後ろ向きになろうとしたその時、先のベテラン医師が画面上で質問の手を挙げた。見た目と裏腹に自信がなく、臆病な私は何か批判を受けるのだろうと身構えた。

すると医師は、「関西に良いチャプレンいませんか?」「私は10年以上在宅の患者さんを1000人以上看取ってきた。でも、心のケアが置きっぱなしだった……」と語った。次の瞬間、私は即答した。「あの、きっと良いチャプレンって私です。私でよければ行かせてください!」

千葉県の教会で働き、神奈川の奥にあるクリニックでチャプレンを開始したばかり。大阪に通うのは非現実的だ。なぜだか分からない、ただ私は後先を考えずに「私が行きます」と言い切っていた。「明日朝、クリニックに来れますか?」という医師の言葉に答え、10時間後、私は翌朝その医師と直接会っていた。応接室で面談を受けるのだろうと身構えていた。だが、話はそんな堅苦しいものではなかった。

クリニックの待合室に入ると、すでに外来受診の患者さんたちが待っている。その横で医師は立ったまま「昨日はどうも! じゃあ、来週から来てください!」「あ、はい!」――採用面接は1分で終わった。百戦錬磨の経験と大阪人のノリも相まった達人とのやりとり。実に気持ちがいい。魂が共鳴すれば、難しいこと、面倒なことは後でいい。

アメリカに残留できず、日本のキリスト教系病院で働くことができなかった私。チャプレンの道が閉ざされたかのようにさえ感じていた。だが、すべてはうまくいく。こちらの思ったようには決してならないが、思った以上のこともまた起こる。これが神の祝福、ゴッドブレスか。こうして千葉県の教会、神奈川県クリニック、そして大阪のクリニックにもチャプレンとして雇ってもらうことになったのだ。あ、もちろん後から履歴書など必要書類はすべて提出した。

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