香山リカさん講演会「迷える時代を生きる──精神科医として、求道者として」

 

香山リカさんが初めてキリスト教について書いた『迷える社会と迷えるわたし』(キリスト新聞社)の出版を記念して、4日、お茶の水クリスチャン・センター8階チャペルで講演会を行った。

香山リカさん=4日、お茶の水クリスチャン・センター

著名な精神科医、また求道者として、教会の可能性をひもとく貴重な機会となった。この日は台風が接近している悪天候にもかかわらず、キリスト教出版関係者をはじめ、多くの人が足を運び、会場を埋めた。

香山さんとキリスト教の関わりは幼少の頃にさかのぼる。北海道小樽市で育った香山さんは、友人に誘われ、教会学校やキャンプに参加するようになった。小学生の頃は楽しく教会に通っていたものの、中学生になる頃には勉強や部活も忙しくなり、教会から次第に足が遠のいていった。しかし、30代の頃、歌人で友人の林あまりさんに誘われ、再び教会へ。

精神科医として日々、心の病気を抱えた人々と接する中で、「キリスト教精神」にはとても助けられているという。キリスト教的な考え方をすることで、自分も迷いがなくなるのだ。しかし、教会にいる友人や牧師から「受洗を考えてみたら」と声をかけられても、なかなか決心がつかない。「自分が神様を信じる論拠はどこにあるだろう」と考えると、それにはっきりとした答えを出せないのだ。

しかし、求道者として一歩離れて見た時、キリスト教には現代社会に対してできることがあるという。

「現代は『自由に生きられる時代』と言われながらも、自由ではない一面もある。たとえば、東大などの合格に親の年収が大きく関わっている事実がある。自由なようで、そうではない社会の中で、ストレスを抱えて生きている人も多い。そこに、渡辺和子さんの『置かれた場所で咲きなさい』のようなメッセージは有効なのでは。『神様はありのままのあなたを愛している』、『たとえ1匹の迷える羊でも、神様は見捨てることはない』というメッセージは、信仰の有無にかかわらず多くの人の心に届くと思う」

一方で、「自由な現代を生きているのだから、自分は何か価値のあることをしなければ」、「自分にしかできない特別なことを」というプレッシャーの中で生きている若者も多いという。極端な例として、先日、処刑されたオウム真理教の幹部たちに触れ、彼らもかつては「自分にしかできないこと、価値あることをしたい」と考え、苦しんでいた若者だったのではないかと問いかけた。

それだけではなく、「さまざまな場面で、宗教に対して非常に強い反発を示す人々がいるのも事実」と香山さん。同書をプレゼントした友人から、「あなたも最後は『神頼み』ですか。非常にショックです」と言われたという。それに対して香山さんはこのように話す。

「私が思うキリスト教とは、いわゆる『神頼み』ではない。すべてを神にゆだねはしても、考えることを停止して、意見を述べることも控えるということではない」

科学とキリスト教について、遺伝子情報を扱うゲノム医療を例に話をした。現代の技術は長足の進歩を遂げ、将来、発症する可能性のある病気なども遺伝子情報によって予見できるだけでなく、その遺伝子を操作することも技術的には可能な段階まで来ているという。

「これを神は許すのか。神様はどう考えるのか。このように科学の進歩と倫理が問われる時こそ、キリスト教の出番ではないか。なぜなら、論拠は聖書にあるから。こういう問題にこそ、キリスト教側からの発信が必要なのでは。このように、現代を生きる若者や高齢者にとって、そして現代科学においても、キリスト教が必要とされている場面は多くある」

そして最後に、「私もいつか心の底から『信じます』と言って受洗する日を皆さまに報告できれば」と語り、講演を締めくくった。

 






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