神さまが共におられる神秘(2)稲川圭三

君たちに食べられて、一緒の向きで生きるいのちに

2015年6月7日 キリストの聖体の主日
(典礼歴B年に合わせ3年前の説教の再録)
「これは、多くの人のために流される私の血、契約の血である」
マルコ14:12─16、22─26

入祭のあいさつ

今日は「キリストの聖体の祭日」です。今年も初聖体式が行われます。ご一緒に子供たちの初聖体を心からお祝いし、喜びたいと思います。

初聖体のお祝いとは、イエスさまのいのちをいただいて、神さまが一緒にいてくださることを受け取って、一緒に生きることです。私たちも、今日もイエスさまが一緒にいてくださるので、そのイエスさまと一緒に、今日出会う人の中に神さまのいのちを見て生きる人になるよう、呼びかけを受けています。

ご一緒にこの御ミサをお祈りし、今日、初聖体を受ける子供たちが生涯、神さまと共に生き、神さまと人を愛して生きる人になっていくように、心を合わせて一緒にお祈りしましょう。

稲川圭三神父

説 教

(子供たちに向かって)初聖体式を迎える皆さん。今日、このあと皆さんは、イエスさまのからだであるパン、ご聖体をいただきます。

いま神父さんが読んだ聖書の箇所は、2000年前にイエスさまが弟子たちと一緒になさった「最後の晩餐」と呼ばれる特別な食事の箇所でした。

皆さん、知っていますか。今日イエスさまが弟子たちと一緒に食事をした箇所を読みましたが、その翌日に何があったか。・・・そのとおり! 今、Rちゃんが「十字架にかけられた」と言ってくれました。イエスさまは、この食事の次の日には十字架にかけられて殺されてしまうことになります。

イエスさまは、ご自分が翌日には死ななければならないことを知っていました。他の弟子たちは知りませんでした。イエスさまだけは知っていました。

そしてその食事のとき、イエスさまは弟子たちを愛されました。明日、自分が死んでいくことを知っていたイエスさまは、弟子たちを愛して、愛して、愛し抜かれて、食事のとき、パンを取り、賛美の祈りを唱えて、裂いて、弟子たちに配りました。

そのとき、イエスさまは何と言って配ったか。今日の福音です。

「これはわたしの体である」(マルコ14:22)

イエスさまはパンを取って、「これは私の体、食べなさい」と言って、弟子たちに食べさせた。

子供の皆さんには難しいかもしれないけれど、ヘブライ人のイエスさまたちは、「体」という言葉で「私自身」「私そのもの」という意味を表しました。だから、イエスさまは「これは私です」「私自身です」と言って食べさせてくださったということです。

今日、皆さんがいただくご聖体は、イエスさまのいのちそのものです。

私は思います。イエスさまは弟子たちにパンを食べさせるとき、こう思ったんじゃないかな。

「このパンを食べて、私はあなたたちと一緒の向きで生きるいのちになるよ。あなたたちはこのパンを食べて、私と一緒の向きで生きるいのちになって」

そういうふうに思われたんじゃないかな。

「私は君たちに食べられて、君たちと一緒の向きで生きるいのちになるよ。君たちはこのパンを食べて、私と一緒の向きで生きる人になって」

そう思われて、イエスさまはパンを配られたんじゃないかな。

今日、初聖体を受ける子供たちと一緒に私たちも、ここにいてパンを受ける者は同じようにイエスさまからの呼びかけを受けています。

「洗礼という恵みをいつかは自分も」と思われている方もおられると思います。また、今日初めて教会に来られたという方もおられると思います。

イエスさまがただ一つ私たちに伝えた真実、それは何かというと、すべての人が神さまの子供ということです。

人間の中には神さまのいのちがあります。すべての人間の中には、神さまが一緒にいてくださいます。イエスさまはその真実を見て、告げて、私たちがその真実に出会って生きるようにと教えて、自らも生きてくださったお方です。

今日からイエスさまはもっと深く一緒にいてくださるようになりますから、イエスさまと一緒に人に親切にして、人に優しくして、人をいじめるのではなく助けて、人を悲しませるのではなく喜ばせて生きていく人になっていきますように。

今日、初聖体を受ける子供たちと一緒に、私たちも心を新たにして、ご一緒にこのミサのお祈りをおささげしたいと思います。

 






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