【哲学名言】断片から見た世界 エラスムスの言葉

何百年も読み継がれる古典的な傑作が、一週間で書けてしまったとしたら……?:エラスムス『痴愚神礼讃』の場合

ごく稀なことではありますが、ものを書く人には、とてつもない傑作中の傑作が、何の苦労もなしにすらすらと書けてしまう(!)という奇跡が訪れることもあるようです。今から500年ほど前に活躍した哲学者であるエラスムスが『痴愚神礼讃』を書いた時に起こったのもまた、そうした奇跡の一つにほかなりませんでした。

「この世のなかの人たちは、私のことをいろいろと取りざたいたしますし、とびきりの阿呆瘋癲のあいだでさえ、この痴愚の女神様について悪口が叩かれていることを、知らないわけではありません。でも、この私こそ、またこの私だけが、神々や人間を浮き浮きさせるのですから、ねえ。その動かせない証拠は、ほら、このとおりたっぷり。このようにおおぜいの皆さんの前へ私が姿を現しただけで、たちまちどなたの表情にも、今までにないふしぎな陽気さが浮かんだではありませんか。」

こうした書き出しから始まる『痴愚神礼讃』は500年以上の長きにわたって読み継がれている、諷刺文学の傑作です……が、この作品はなんと、エラスムスがほんの一週間足らずで書き上げた、いわば「単なる思いつきの一品」だったとのことです。これから本人の述懐にしたがって、この作品が生まれた様子をたどってみることにしましょう。

「思いつきでテキトーに書いたら、彼らはなぜか大興奮していた」:『痴愚神礼讃』の執筆の過程

1509年の8月ごろ、イタリアを旅立って、次の滞在先のイギリスを目指して馬で移動していた43歳のエラスムスに、ある思いつきが浮かびました。アルプス山脈を越え、えんえんと続く道のりを進みつつライン川を下りなどしているうちに、一つの作品の構想が生まれてきたのです。

何しろ旅の上でのことなので、難しい学問の仕事などはできるはずもありません。それは痴愚の女神、すなわち、「バカばんざい!」を信条とする架空の女神が、演説形式で「馬鹿であることの喜び」をひたすら賛美するという、まあ何というか、およそその場のノリ以外のものは何もないといったお気楽な作品でした。

ところが、イギリスに着いてからエラスムスが何の気なしにこの作品を書き始めるや(後年の本人の弁によれば、体調不良で真面目な仕事に集中することができなかった時に、気を紛らわすために執筆を開始したとのこと)、友人たちは「いやこれ、面白いんじゃね!?」と口々に叫んで、もう大盛り上がりです。そう言われてしまうと、ほめられたエラスムスの方も嬉しくなくはないので、引き続きすらすらと書き続けますが、一週間近くもひたすら「バカばんざい!」の世界を書き続けていると、さすがに途中から「わたしはひょっとしたら、自分の人生の時間を無駄にしているのではあるまいか……」との思いも浮かんできます。

そんなエラスムスの複雑な気分をよそに、友人たちは、やれ傑作だ、最高すぎるよこれ、もう出版しちゃえばいいんじゃないの、フランスで出しちゃおうぜと彼らの間で勝手に(?)盛り上がり、暇つぶしに書いたはずの『痴愚神礼讃』はついに、実際に出版されることになったというわけです。

「言いたい放題の天国」:人文主義者のエラスムスが作り上げた、言葉のユートピア

そんなこんなで、ほとんど純粋なノリだけで出版されてしまったともいえなくもない『痴愚神礼讃』ですが、世間からの反響はすさまじいものでした。「面白すぎるよ!」「てかこれ、何気に言っちゃいけないこととか書きまくってるけど、読むとほんとスカッとするんだなこれが!」といった絶賛の嵐が巻き起こり、本はたちまちに売り切れるとともに版を重ね、あっという間にヨーロッパ中に広まってゆきました。

『痴愚神礼讃』は先にも述べたように、「バカばんざい!」の精神にのっとって、人間の愚かさをとにかくみんなで楽しもう、という目的のもとに書かれた本です。「痴愚の女神=エラスムス」の言うところでは、人間のうちには確かに、我々人類は今のままではいけない、友よ、もっと真面目に生きようではないかとの決意を固めている、立派な「理知」の部分も存在しています。しかし、不運なことに、この「理知」の部分に対しては「……と思ったけど、やっぱり僕ちんだけは、最初から最後までやりたいように生きるYO!」と突っ走る「情念」の部分が、およそ1対24の割合で配分されているので、人間の営みはすべて、言ってみれば暴走機関車たちの大爆走のようなものでしかないという結果になってしまいます。痴愚の女神はこのやりたい放題の様子を、一つ一つ、笑顔で取り上げてゆくわけです。

そして、エラスムスはこのやりたい放題のどんちゃん騒ぎの中に、いや、それ言っちゃっていいんですかという位に大胆な社会風刺も混ぜ込んでいます。たとえば、当時の教皇庁には天文学的というしかないスケールのお金がたんまりと集まってきていて、いやあ、偉い人たちってやっぱりやることが違うんだなあとか、その教皇庁では今日も、たくさんの「銀行家と女衒」がほとんど24時間体制で真剣に働いているんだ、おお、なんて立派なんだろう、といった具合です。よくぞ言った、世の中広しといえども、こんなに楽しい「言いたい放題の天国」を作れるのはエラスムスよ、あなたしかいないというわけで、『痴愚神礼讃』は16世紀最大のベストセラーの一つとして、人類の歴史に残ることになりました。書いた当のエラスムスとしては、「どちらかと言うと、もっと真面目に書いた別の本の方を読んでほしいのだが……」という思いもあったようですが、この本の快進撃を止めることは、著者本人にもできなかった模様です。

おわりに

そういうわけで、一週間で仕上げた走り書きが思いがけず不朽の名作となってしまったというのが『痴愚神礼讃』の奇跡であったと言うことができそうですが、この本のうちには、「お互いの愚かさを笑いながら受け入れ合うことが、真の意味での平和につながる」という叡智の精神が息づいていることも確かです。ちなみに、エラスムスはこの本の中で、人間同士の間で行われる戦争については「あんなのは、カスみたいな連中のやることでして……」と、さりげなく辛辣な言葉を書きつけています。時代を代表する真面目な人が書いた「真剣な不真面目」として、『痴愚神礼讃』は今のこの時代に至るまで、読書人たちの間で楽しく読み継がれてきたといえます。

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