主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、コリント人への手紙第二の6章です。よろしくどうぞ。
コリント人への手紙 6章1節
神の恵みを無駄に受けないようにしてください。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
神様は日々、たくさんの恵みを僕たちに与え続けてくださっています。でも僕たちは実はその多くを無駄にしてしまってはいないでしょうか。僕はスーパーに行っておいしそうなものが特売になっていると「おお!これは主の恵み!」と喜んでそれを買って料理して食べます。でも時々、食べきれずに腐らせてしまったりします。仕事がうまく進んで、1〜2時間の余裕が生まれたとき、「おお!これは主の恵み!」と喜んで、何か有効に使うこともありますが、ダラダラと無為に過ごしてしまうこともあります。
人は神様から恵みを受け取るときは「おお!これは主の恵み!」と喜ぶのですが、しかし必ずしもそれを有効に活用できているとは限らないものです。
僕たちクリスチャンには教会が与えられています。これも神様からの大きな恵みです。でもそれをちゃんと活かせているでしょうか。また、聖書も与えられています。でもそれをちゃんと活かせているでしょうか。教会も聖書も、冷蔵庫に入れたまま放っておいても仕方ありません。ちゃんと食べなきゃ栄養にはなりません。
僕たちは神様からの恵みを無駄にしてしまうだけではなく、時には神様の意図とは反対のことに使ってしまったりさえします。神様のために使うべき時間や知恵を、自分の楽しみや欲のために使ってしまったりします。もちろん日々の生活には楽しみだって必要ですし、適度な欲も必要です。食欲だって睡眠欲だって健全な欲です。とはいえ、そればかりに使ってしまっては、これは偶像礼拝です。ついこの前まで1000円札の肖像であった野口英世さんは、留学のためにと知人が用意してくれたお金をあっという間に遊びに使い果たしてしまったんだそうですが、僕たちもまた神様に対して同じようなことをしてはいないでしょうか。生活保護受給者の方が、「生活のために」と支給されたお金をパチンコに注ぎ込んでしまったりすることが問題になっていますが、僕たちもまた神様に対して同じことをしていないでしょうか。
神様から与えられたもの、命も時間も財産も愛も居場所も、あらゆるものを僕たちは「自由に使っていいよ」と言われているわけですが、そこに自由があるからこそ、その使い方によって、神様は喜んだり悲しんだりなさるんです。自由だからこそ、自分で考えて、きちんと用いなければいけないんです。与えられた豊かさを無駄遣いせずに、きちんと受け取って使っていれば、きっと神様はもっと豊かな豊かさを与えてくれるはずです。自分のお金をどのように使ったのか家計簿をつけるのと同じように、与えられた恵みをどのように用いたのか「家恵簿」をつけることが必要かもしれません。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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