主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エレミヤ書の49章です。よろしくどうぞ。
エレミヤ書 49章7節
「テマンには、もう知恵がないのか。
賢い者から分別が消え失せ、彼らの知恵は朽ちたのか。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
「十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人」なんて言葉があります。子どもの頃は「この子は賢い!いずれすごい奴になるにちがいない!」なんて言われていても、実際に大人になってみたらやっぱりただの人だった、というケースが世の中にはたくさんあるということです。大相撲の世界だって、鳴り物入りで角界に入ってきた新進気鋭の若手が「この力士は将来の横綱だ!」なんて言われながら、結局平幕や十両止まりということも多々あります(平幕や十両だって十分にすごいのですけれど)。
こういったことは、では周りの人の「過大評価」とりわけ「親バカ」によって起こるのでしょうか。もちろんそういったケースもあるでしょうが、それよりは「高い能力を持っても、その能力を維持することは難しい」ということなのではないかと思います。10歳で神童と呼ばれる子も、鳴り物入りの新進力士も、多くは本当に賢かったり強かったりしているのだと思います。ただ、様々な理由でそれを維持するのは難しい。
それは子どもや若手じゃなくても起こることです。ある時に賢かった人が、その後ずっと死ぬまで賢いとは限りません。東大に一発合格するような人だって、その後も勉強を続けなければ知識は古くなり、その賢さはやがて役に立たなくなります。東大をはじめ、一流大学や有名大学に入ることを目標にする方はたくさんいますが、その目標を果たして実際にその大学に入学すると、燃え尽きて学びをやめてしまう方も多くいます。そんな人がやがて社会に出て「◯◯大学って聞いたから頭がいいかと思ったけど、そうでもないね」とか「○○大学って言っても大したことねーな」とか言われてしまうことになります。
政治家だって、選挙に受かることを目標にしていて、選挙に受かった途端にそれまで練っていた政策を練り続けることをやめ、時代遅れな政策しか打ち出せなくなる人も多々います。今、グッドアイディアであることが、明日もグッドアイディアであるとは限りません。タイミングを逃せばグッドアイディアもたちまち「時代遅れの愚策」と化します。
教会もまた同じことをしています。昭和や平成に成果を上げた宣教方法が、令和でうまくいくとは限りません。むしろほぼうまくいかないでしょう。道端でのビラ配りとか、映画会とか音楽会とか、多くの教会は昭和と同じ方法で令和を生きようとしています。苦言を呈するようですが、本当にそうです。そしてそれはもちろん必ずしも愚策とは限りません。令和に、昭和や平成の手法がまったく意味をなさないかと言えばそうではありません。昭和や平成のグッドアイディアは令和でもグッドアイディアであることに変わりはありません。ただ、それ単独ではもはやダメなんです。古い知恵を輝かせ続けるには、新しい知恵と組み合わせることが不可欠です。そのためには新しい知恵を学び続けなければなりません。それができなければ「昭和の賢者」は「令和の愚者」になってしまうでしょう。そして「賢い者から分別が消え失せ、彼らの知恵は朽ちたのか」と言われてしまうでしょう。
賢くあり続けることは、賢くなることよりはるかに難しい。
強くあり続けることは、強くなることよりはるかに難しい。
優しくあり続けることは、優しくなることよりはるかに難しい。
信じ続けることは、信じることよりはるかに難しい。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
【メールマガジン始めました】
クリプレのメールマガジンが始まりました。日々、クリプレの最新記事を皆様にお届けいたします。無料でご利用いただけますのでよろしければこちらのリンクからご登録くださいませ。
【おねがい】
クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。https://christianpress.jp/donate/