主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、ネヘミヤ記の2章です。よろしくどうぞ。
ネヘミヤ記 2章8節
わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
預言者ネヘミヤはペルシアのアルタクセルクセス王の献酌官でしたが、イスラエルに戻って破壊された神殿の再建をしたいと願っていました。それで王に「私をイスラエルに派遣して、神殿の再建をさせてください。イスラエルに着くまでの通行手形と、神殿再建に必要な木材もください」とお願いしました。王はそれを快諾しました。
普通ならここは王に感謝するところなんですが、ネヘミヤは王ではなく神様に感謝しました。王が願いをかなえてくれたのも、神様のおかげだと解釈したんです。神様は人の心を動かすことができます。それは相手が王であっても同じことです。王がネヘミヤの願いを受け入れるか拒否するかも、最終的には神様次第だということです。
僕たちも、人に何かをお願いしてそれを受け入れてもらえたときは、もちろんその人に感謝するのはいいことですが、神様にも感謝すべきです。しかし、つい人への感謝ばかりに気を取られて、神様への感謝を忘れてしまいます。ネヘミヤだってもちろん、王にも感謝を述べたでしょうし、述べただけではなくちゃんと心から感謝していたと思います。ですから「人よりも神様に感謝しろ」と言っているわけではありません。そうではなくて「人に感謝するのは当然として、同じように神様にも感謝することを忘れてはいけない」ということです。
人への感謝ばかりで神様への感謝を忘れてしまえば、いずれ神様ではなく、その人を頼りにして生きていく者へと変わってしまいます。その相手に依存してしまうんです。ネヘミヤも、ここで王にばかり感謝して神様への感謝を忘れてしまっていたならば、きっとアルタクセルクセス王への忠誠心ばかりが高まって、神様のことを忘れてしまったことでしょう。そしてそうなってしまったら、きっと神殿の再建もうまくは行かなかったでしょう。ネヘミヤは、相手が王であれ人間のすること、人間の決定することはあくまでも世界の表層の現象に過ぎず、その根底にあるもの、その本質は神様であると知っていたんです。表層の現象にばかり目をとられがちな僕たちですが、その根底にあるものへの意識は失わないようにしたいものです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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