主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、箴言の12章です。よろしくどうぞ。
箴言 12章15節
愚か者には自分の歩みがまっすぐに見える。
しかし、知恵のある者は忠告を聞き入れる。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
「オートミールは健康に良い!」という情報を聞いて、毎日3食大量のオートミールを食べ続け、腸閉塞を起こしてしまった人がいるそうです。食物繊維は基本的には多めにとった方が良い栄養素ですが、極端にとりすぎればこういう結果を招くことはあります。その人はちょっと具合が悪くなった時も「オートミールは体にいいんだから大丈夫!むしろもっと増やそう」と、病院にもいかず、むしろその生活をエスカレートさせてしまったそうです。
食生活に限らず、人生って「自分は大丈夫!」と思っている時にこそ、落とし穴があるものです。特に「自分は正しい」とか「正義は我にあり」と思っているときには注意が必要なものかと思います。それは本当に自分が正しいのではなく、自分の誤りが見えていない状態なのかもしれません。かもしれません、というよりも、ほぼそうであると言った方がいいかと思います。
エコーチェンバーという言葉があります。これは現代のSNS社会の一つの問題を言い表した言葉ですが、自分と同じような意見や、それを肯定する言葉ばかりに触れているうちに、他の意見や反対意見を聞き入れることができなくなったり、そもそもそういった意見の存在に気づくことさえも難しくなるという現象のことです。
クリスチャンもまた、このエコーチェンバーを起こしやすい環境にいます。教会にいればキリスト教に対する反対意見や批判の声を聞くことはほぼありませんし、クリスチャン同士が集まるコミュニティでも同じです。もちろん聖書は神のことばですから全面的に正しいとしても、それを読む人間は誤るものだということはその聖書自体に書いてあります。教会やクリスチャンコミュニティで「自分たちは、自分たちこそは、神様の意思をまちがいなく実践しているのである」と思い込んでしまうのは非常に危険なことです。そこにいわゆる「教会のカルト化」が起こります。健全な教会も「自分たちこそが正しい」という錯覚によってカルトへと変質してゆくんです。もちろんクリスチャンに限らず、社会運動でも政治運動でも「自分たちこそが正しい」という錯覚は多々起こりますし、その錯覚が起こる時、先鋭化やカルト化、企業であればブラック化が起こります。
これを防ぐためには常に「自分はまちがっているかもしれない」という視点を必ず頭のどこかに置いておくことが何よりかと思います。「敵」の言うことにも一理あるのかもしれない、という視点を忘れないことです。そして「敵」ではなくても、自分の誤りを指摘する人を排除しないことが肝要です。SNSではときどき、自分と異なる意見の人や批判する人を片っぱしからブロックしてしまうような方が見受けられますが、これは非常に危険であると思います。自分の落とし穴を自分で掘っているようなものです。
「自分は正しい」と思えるとき、「自分は大丈夫だ」と思えるとき、そんなときにこそ、大きな誤りというのは始まるんです。その思いこそが「愚か者への道」のスタートラインなんです。
聖書はたしかに正しい。しかしそれを読む自分は間違う者である。そのことは忘れないように、僕自身にもしっかり釘を刺しておこうかと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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