主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧訳聖書、 サムエル記第一の10章です。それではよろしくどうぞ。
◆サムエル記第一 10章9節
神はサウルに新しい心を与えられた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
サウルはイスラエルで初めての王になった人です。と、いうとサウルには低い身分から「いつか王様になってやるぞ」という野心を抱えてそれを成し遂げたというような、立派な立身出世物語があるのかと思いきや、実はもともとサウルにはそんな野心はまったくありませんでしたし、自分が王様になるなんて夢にも思っていなかったのでした。
ある時、サウルは父親に命じられて、いなくなった雌ろばを探しに出かけました。その先で預言者サムエルに会ったのですが、そこでいきなりそのサムエルに「サウルさん、神様があなたを王様に選びました」と言われました。いきなりそんなことを言われて「よし、俺は王様なのだ!」なんて覚悟が決まる人はいません。サウルも驚いて「どうして僕なのですか?」と尋ねたりして、なかなか自分が王になる覚悟は決まりませんでした。
しかし、聖書ではたった一行にも満たないことばで、サウルの決心が記されています。それがこの「神はサウルに新しい心を与えられた」です。「王になる」という決心は、サウル自身によってなされたのでなく、神様によって与えられたものだということが、この一文でわかります。
何かを始めたり、何かになったり、人生には大きな決心が必要な場面があります。そんなとき「なかなか決心がつかない・・・」と悩んでしまうこともありますが、そもそも決心は自分でするのではなく、神様が与えてくださるのだ、と思えば気も楽になります。特に神様の御心にかなう何かを始めるのならば、御心にかなう何者かになるのならば、その決心は必ず神様が与えてくださるものです。むしろその決心は自分自身でしてしまってはいけないものだとさえ言えます。サウルは後に、神様の決心ではなく自分の決心で行動を起こすようになり、神様から離れて非業の最期を迎えることになります。
人生には自分の決心を根拠に「自分で決めたことだからやる」よりも、神様の決心を根拠に「神様が決めたことだからやる」という姿勢を求められることもあるんです。自分の決心は時として揺らぎますし、迷いも生じます。しかし神様の決心は揺らぎませんし、神様は迷いません。人生において最終的に頼れるのは自分の決心よりも神様の決心なんです。
それではまた来週。
主にありて。
MAROでした。
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