主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、歴代誌第二の3章です。それではよろしくどうぞ。
◆歴代誌第二 3章17節
彼は柱を本殿のまえに、一つを右側に、一つを左側に立てた。右側の柱の名をヤキンと呼び、左側の柱の名をボアズと呼んだ。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ソロモン王がイスラエルの神殿を建てたときの記述です。なんと、ソロモン王は柱に名前をつけています。なんかちょっと可愛いところあるなー、なんて思います。ちなみにヤキンは「彼は設立する」、ボアズは「力をもって」という意味で、合わせると「彼は力をもって(この神殿を)設立する」ということになりますから、ソロモンもただ愛着だけをもってではなく、ちゃんとした意味と意思をもって柱に名前をつけたのだということはわかります。
名前をつけるって、思っている以上に意味があって、大切なことです。名前をつけるということは、その対象を他のものとは別のものとして区別するということですから。たとえば、たくさんの石ころの中から一つを選んで、その石に名前をつけたら、その石は他のたくさんの石とは別の、特別な石になります。子どもって、おもちゃとか人形とか、いろいろなものに名前をつけますよね。それってそれだけいろいろなものを大切にしているのだな、と思います。大人になるといつしか物に名前をつけることはしなくなってしまいますけれど。
僕もミュージシャン時代は、自分の使う楽器一つ一つに名前をつけていました。どんな名前だったかは恥ずかしいから書きませんけれど。その名前は「これは僕の特別な楽器であって僕のものであるから、他の人が勝手に触ったら怒るよ」という意思表示でもありました。皆さんは誰もが名前を持っているはずですが、その名付けもご両親による「この子は私の愛する私の子だ」という意思表示でもあると言えます。他の誰ともちがう、あなたなのだ、という宣言でもあります。
ソロモンはもちろん「この柱は私のものだ!」という意味で名前をつけたのではないでしょうが、しかし「神様が建てる神様の神殿を支えるこの柱は特別なものであるから、粗末に扱ったら怒るよ!」という気持ちは持っていたのでしょう。
名前があるということは、それだけで「あなたは特別で愛されている」ことの証拠だと言えるんです。
ちなみに僕はドラクエとかで主人公の名前を決めるだけで1時間くらい悩んだりします。ようやく名前を決めてゲームを開始しても「やっぱりなんとなく名前がしっくりこない」と、名前を変更してゲームを最初からやりなおすこともあります。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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