聖書界のラスボス?「神に逆らう最後の王」とは【聖書からよもやま話93】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エゼキエル書の38章です。それではよろしくどうぞ。


◆エゼキエル書 38章16節

ゴグよ、わたしはおまえに、私の地を攻めさせる。それは、わたしがおまえを使って、国々の目の前にわたしが聖であることを示し、彼らがわたしを知るためだ。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)


神様は、特に旧約聖書においては、わざと「敵」を作って自分の民を攻めさせて懲らしめる、ということをします。一番有名なところでは、新バビロニアによるバビロン補囚があります。今日の箇所でも神様は、マゴグという土地のゴグという王を使って、イスラエルの民を懲らしめようとしています。

・・・と、一見読めるのですが、ちょっと調べると、どうもこれはちょっとそれとは事情が違うようなのです。旧約聖書に出てくる歴史的な出来事の多く、たとえばバビロン補囚やエジプト脱出など、は歴史学的に見てもちゃんとそれと一致する出来事が認められるものなのですが、このマゴグのゴグによるイスラエル侵攻というのは、歴史的に一致する出来事がないんです。

しかもです。このマゴグ、ゴグという固有名詞は新約聖書の黙示録20章8節にも登場します。黙示録というのは聖書の中でも、未来について記されている書物ですから、そこにゴグが登場するということは、ゴグは未来に登場する人物であるということです。

つまり、旧約聖書のこのエゼキエル書において、すでに黙示録の一部が示されているということです。マゴグというのは実際にある地名なのですが、だからと言って必ずしも黙示録の出来事がその地域から起こるとは限りません。当時、イスラエルの人々が潜在的に恐れていたいわば「仮想敵国」を比喩表現として用いたとも考えられるからです。確かに今の世界は荒れていますが、だからと言って、安易に「あの国の奴らこそマゴグだから気をつけろ!」とか「あの政治家こそゴグに違いない!」とかレッテルを貼って攻撃したりするのは避けなくてはいけないと思います。

いずれにせよ、旧約聖書の時代に、現代の僕たちでさえまだ見ぬ未来のことがエゼキエルによって語られ、それが聖書に記されているのだと思うと、改めて聖書ってスケールの大きな書物だな〜と思わされます。

しかし、マゴグのゴグって、いかにも悪役っぽいネーミングでいいですよね。しかもこれが、解釈によっては「神に逆らう最後の王」と呼ばれたりもするんです。「ラスボス感」があって正直ちょっとかっこいいな、とか思ってしまいました。時々、ゲームの敵キャラなんかに使われていたりもします。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
善玉レスラーより悪役レスラーの方が、実は敬虔なクリスチャンが多い。


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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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