皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、エペソ人への手紙の5章です。それではよろしくどうぞ。
◆エペソ人への手紙 5章28節
同様に夫たちも、自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。
エペソ人への手紙は割と僕たちにとって「耳が痛い」ことが書いてある手紙です。様々な「これをしなさい」「これをしないようにしなさい」ということが書いてあります。その中で夫婦のあり方についても書いてあります。
ここには「妻たちよ。主に従うように、自分の夫に従いなさい(22節)」なんてことも書いてあるので、現代の価値観からするとそれだけを読めば「女性蔑視じゃないか」と言われてしまいがちでもあるのですが、一方で夫にも「キリストが教会を愛し、教会のためにご自分を献げられたように、あなたがたも妻を愛しなさい(25節)」と書いてあります。キリストが教会に自分を献げたというのは自ら十字架についたということですから、つまり「夫は妻のために命を献げなさい」と言っているんです。妻には「夫のために命を献げなさい」とは言われていませんから、ここだけ読めば反対に「男性蔑視じゃないか」とも言えるわけです。つまり要するに、妻と夫、双方に対して「とことん相手を愛して大切にしなさい」と言っているのですね、聖書は。どっちを下げているわけでもないんです。
日本ではしかし残念ながら自分のパートナーを「うちのダンナはダメダメで・・・」とか、「うちのヨメはダメダメで・・・」とか、つい悪く言ってしまう方が多いように思います。これは一種の謙遜であって、日本では美徳ともされることです。そして謙遜は聖書でも大切にされていることです。しかし、イエス様は一度でも他の人に対して「うちの弟子はダメダメで・・・」なんて言ったでしょうか。弟子たちは一度でもイエス様のことを「うちの師匠はダメダメで・・・」なんて言ったでしょうか。自分のパートナーを悪く言うことは謙遜とは違うんです。アダムがイブを、イブがアダムを悪く言ったなんて、聖書のどこを読んでも書いてありません。それはお互いがお互いを「神様から与えられたパートナー」と思っていたからではないでしょうか。
神様につくられた自分を悪く言うことも、自分に神様から与えられたものを悪く言うことも、神様を悪く言うのと同じです。「自分を悪くいうこと」と「謙遜」とは違うんです。まして自分のパートナーを悪く言うことは「謙遜」とはかけ離れているんです。
そもそも自分で選んだパートナーを悪く言うのっておかしくないですか、なんなら「私は人をみる目がないんです」って言ってるようなものじゃないですか。そんな「人をみる目がない人」に、「君はいい友達だ」とか「あなたとはいい仕事ができそうだ」って言われても、「え・・・だってあなた、人をみる目がないんでしょ」とか「最初はよくてもそのうち僕も悪口言われるようになるのかな」と思っちゃいますよね。
・・・とか、僕はいい歳してまだ独身なので偉そうなことは言えないんですけどね。でも「嫁の悪口」「旦那の悪口」ばかり言う人と話していてもあまり楽しくありませんし、反対に「うちの嫁は世界一かわいいんです!」と会うたびに自慢する友人とは「あぁ、この人とは何度でも飲みたいな」と思うんです。
「嫁自慢会」とか「旦那自慢会」とか、そんな飲み会とかが流行ればいいのに。きっと想像以上に楽しいと思いますよ。
それではまた。
主にありて。MAROでした。
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