皆様いかがお過ごしでしょうか。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、伝道者の書の1章です。それではよろしくどうぞ。
◆伝道者の書 1章9〜10節
昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。
日の下に新しいものは一つもない。
「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、
それは、私たちよりはるか前の時代に
すでにあったものだ。
「空の空。すべては空」と、まるで仏教の偉い人のようなことばから始まる伝道者の書。実際に、仲良しのお坊さん何人かにこの書をちょっと見せてみましたら「なんですかこれ!面白そう!」と皆さん口を揃えていました。中には「お坊さんを何人か集めてこの書の勉強会をしたい!」という方までいらっしゃいました。
この書を書いたのはソロモンという王様で、聖書界の「頭の良い人No.1」と言える人です。なにせ彼は神様から「なんでも欲しいものをあげるよ」と言われた時に「お金!」とか「力!」とか「美女!」とか言わずに「知恵が欲しいです」と言った人です。その答え自体がすでに賢いですし、神様もその答えを気に入って「よっしゃ、それならいくらでもあげちゃう!」と彼に無尽蔵の知恵を与えたので、もうその頭の良さは他の追随をまったくゆるさないほどになりました。
そんな彼が表題のことばを言うのです。「世の中は変わったように見えても、よく見れば今も昔も変わらない」と。
人間はついつい、「今の我々は過去の人たちより優れている!」と思いがちです。確かに、人間が生み出すものは時代によって変わりました。技術は進歩し、様々な便利ツールが世に溢れるようになりました。しかし、それを使う人間そのものは変わりません。伝達ツールが手紙であろうともメールであろうとも、そこに乗せる人の思いは変わりません。「現代は人権意識が進んでいるじゃないか!過去は人権なんてなかった悪い時代だ!」しかし思想もやはり「人間が生み出すもの」であって、人間そのものではありません。いくら人権意識が進んでも、それを運用する人間自身はかわりません。「進化」しているのはツールだけであって、人間自身ではありません。
そして、技術も思想も、それが普及していけば、その過程で必ずそれを悪用する人が出てきます。これは今も昔も変わらないことです。キリスト教が登場した2000年前以来、これを悪用した人は数えきれないほどいますし、現代の世の中を見てみれば「人権」を悪用する「人権屋」がわらわらと湧いています。インターネットやスマホ社会を悪用した犯罪が横行しているのは皆さんも肌で感じていることでしょう。そしてそれらによって傷つけられた人たちの傷も痛みも、昔と今と何ら変わりません。
悪いことも善いことも、愛することも憎むことも、食べること眠ることも、人間の本質は今も昔も変わりません。「スマホの普及で世の中が変わった」とは言いますが、しかし、スマホ登場の前と後で、産まれる赤ちゃんの産声も、外で遊ぶ子どものはしゃぎ声も何声も、変わっていません。人間自体は聖書の時代から、いえ、アダムとイブの時代から本質は変わっていないんです。
聖書が2000年も変わらず読み続けられているのは、それが「人間が作り出すもの」に影響されず、「人間そのもの」について記された本であるからなんじゃないかと思います。変わらないものについて書いてあるからこそ、変わらなくても人間に力を与え続けられるんです。
明日から4日間、夏休みをいただきます。嬉しいです。「休みが嬉しい」というのも、今も昔も変わらないですね。
それではまた。
主にありて。MAROでした。
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