【連載小説】月の都(34)下田ひとみ

 

 窓から一陣の風が吹いてきて、紘子の髮を梳(す)いた。

気がつくと、部屋の中が薄暗くなっていた。いつのまにか夕方になっていたのである。

紘子はソファーから立ち上がると、キッチンに行って冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出し、それをコップに注ぐと、一気に飲み干した。少し気分がよくなってきた。浴室にいってシャワーを浴びると、身も心もさっぱりとして、ふたたび応接間に入っていった。

薄墨(うすずみ)色に染まった部屋では、窓から入り込んだ風がカーテンを揺らしていた。一日の暑さと苦闘した者だけが味わえる夕べの風の気持ちよさ。そんな夏の夕暮れ時は唯一、紘子のお気に入りの時間帯であった。

坂の上に建てられた滝江田邸の応接間からは、刻々と色を濃くしていく夕空と、ふもとに広がる街を見渡すことができた。

やがて燃えるように陽が落ちていくと、空は輝ける残像を保ちながら紫色に暮れなずんでいく。谷間の家々に明かりがひとつひとつ灯る。

夏の夕暮れ時、応接間で音楽を聴きながらこの景色を眺めるのが紘子は好きであった。それで、この時も音楽を聴くつもりでステレオに手を伸ばした。

その時、紘子はカセットテープに気づいたのだった。

何だったかしら。

軽い気持ちでテープのスイッチを入れると、典礼聖歌が流れてきた。

曲の終わり頃だったらしく、歌声はすぐに止んだ。続いて聖書を朗読する声が流れてきた。

「わたしの魂は苦難を味わい尽くし、命は陰府(よみ)にのぞんでいます。穴に下る者のうちに数えられ、力を失った者とされ、汚れた者と見なされ、死人のうちに放たれて、墓に横たわる者となりました。あなたはこのような者に心を留められません。彼らは御手から切り離されています。あなたは地の底の穴にわたしを置かれます、影に閉ざされた所、暗闇の地に」

それは旧約聖書の詩編の言葉であった。テープはミサを録音したもののようである。

勲のテープかしら?

いつもの紘子なら途中で止めてしまうのだが、どうしてかこの時はそうすることができなかった。

説教が始まった。

深く、おごそかで、どこか懐かしい声。

紘子は、幼子が子守歌を聴くように耳を澄ませた。

そこで語られたことは、これまで紘子が何度も聞き、よく承知していたはずのことであった。

十字架の意味。罪の赦(ゆる)し。復活。

しかし、この時、不思議なことが起こった。まるで初めてそれを聞いたかのように、紘子の心は真理を悟った歓(よろこ)びにうちふるえたのである。

夕暮れの時が過ぎ、部屋は夜の帳(とばり)に覆われていた。

紘子は電気をつけるために立ち上がろうとしなかった。

闇の中で、自分を見つめている神の眼差しを感じた。

「畏(おそ)れ敬うことを忘れてしまう時、わたしたちはさまざまな恐れに捕われてしまいます。ありとあらゆる恐れが、わたしたちの心を占領します。

しかし、わたしたちがひとすじに神に立ち返り、畏れ敬う時、主に結ばれた信仰に堅く立つ時、わたしたちはすべての恐れから解き放たれます。

どのような困難、どのような試練、悩みと苦しみの中にあって、心ふさがれてしまうような、惨めな思いを味わうその時にも、恐れることなく、ただ一人の、まことに畏るべき方を仰ぎ見ることができますように。

神へとわたしたちの心を、わたしたちの祈りを、ひとすじに向けていくことができますように。

主はそのために、わたしたちに先立ってくださいました。わたしたちに先立って、十字架へ行かれ、十字架を突き抜けて、復活を望み見てくださいました。

わたしたちも主に結ばれて、自分自身の恐れと罪に死んで、主イエスの中に新しく生かされる自らを見いだすことができますように」

紘子は頬(ほお)を伝う涙を拭おうともせず、心からその言葉に「アーメン」といった。(つづく)

月の都(35)

下田 ひとみ

下田 ひとみ

1955年、鳥取県生まれ。75年、京都池ノ坊短期大学国文科卒。単立・逗子キリスト教会会員。著書に『うりずんの風』(第4回小島信夫文学賞候補)『翼を持つ者』『トロアスの港』(作品社)、『落葉シティ』『キャロリングの夜のことなど』(由木菖名義、文芸社)など。

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