──大学全体でキリスト教の価値観が浸透しているようなエピソードはあるでしょうか。
「他者のために、他者とともに」(Men and Women for Others, with Others)を大学の教育精神として掲げていますが、それは全世界のイエズス会の中でも共有されています。その考えのもとになるのがイエス・キリストの生き方です。この言葉を何度も繰り返すことで、卒業する頃には、そういう言葉や考え方が自然に身についていきます。「キリスト教色をもっと出してほしい」という声も一部にはありますが、キリスト教がいちばん大事にしているものを伝え、キリスト教をベースにして、「他者のために何かをする」という価値観を自分のものとしている学生を育てることができれば、それで十分目的は達成できているのではないかと思っています。
──神学部を卒業してイエズス会に入る人はいますか。
大学を卒業してすぐ入る人はほとんどいません。現在、イエズス会には神学部出身で叙階前の神学生がいますが、彼らは皆、一度就職してからイエズス会に入っています。入会の年齢は高くなっている一方で、ベトナムやコンゴなど、外国の若い人が増えています。
──一般の学生が3年次に司祭課程に編入することはありますか。
司祭課程には、修道会で養成を受けた人が入ってくるので、一般の人がいきなり入ることはありません。いま、イエズス会のほかに、フランシスコ会、カルメル会、サレジオ会の修道会から司祭課程に司祭修道生が送られています。
──教授陣について教えてください。
教授(敬称略、50音順)は、私とアイダル・ホアン・カルロス、片山(かたやま)はるひ、具正謨(クー・チョンモ)、小山英之(こやま・ひでゆき)、光延一郎(みつのぶ・いちろう)、森裕子(もり・ひろこ)、佐久間勤(さくま・つとむ)、瀬本正之(せもと・まさゆき)、髙山貞美(たかやま・さだみ)、武田(たけだ)なほみ、竹内修一(たけうち・おさむ)、月本昭男(つきもと・あきお)。准教授は原敬子(はら・けいこ)、吉川(よしかわ)まみ。講師にフィルマンシャー・アントニウス、久保文彦(くぼ・ふみひこ)、酒井陽介(さかい・ようすけ)、田中健三(たなか・けんぞう)、角田佑一(つのだ・ゆういち)がいます。
かつては全員がイエズス会の教授でしたが、今はイエズス会の人数も少なくなっていることもあり、イエズス会以外の教員も教えています。特に、大学全体が女性教員を増やすという方針なので、神学部にも5人の女性教員がいます。そのうち二人はシスター、一人が奉献生活者ですが、二人は一般信徒です。
イエズス会も人を育てていかなければいけないと思いますが、いろいろな人が力を合わせれば、人材は無限だと思うので、それを生かしていきたいと考えています。ただ、教皇庁認可学部としての神学部の使命(教会奉仕と福音宣教)を堅持するというのが前提です。
──神学部創設60周年ということで、これからのビジョンを教えてください。
上智大学神学部は、教会的な意味での使命だけでなく、上智大学の学部としての使命もあります。これまで、神学部の特殊性に安住してしまうところがありましたが、大学のユニバーシティー・アイデンティティーを担う学部として、大学全体の動きに連動していかなくてはなりません。今、曄道佳明(てるみち・よしあき)学長のもとに大学全体が大きく動いていて、そういう大学全体の動きの中で神学部も貢献していきたいと考えています。
──具体的にどのようなことがあるでしょうか。
学長は「ソフィア2020」というビジョンを掲げ、上智大学の教育体系を見直そうとしています。その中で神学部も貢献していきたいと思っています。学長自身はクリスチャンではないのですが、キリスト教的なことやイエズス会について深くご理解いただいています。
──生涯教育についてはどうでしょうか。
神学部は少人数教育なので、社会人にも学びやすく、実際に社会経験を積んだ人が入っています。あと、公開学習センターの枠組みの中で、神学部の神学講座を毎年開講しています。キリスト教文化研究所では、講師を学内外の教員に依頼し、6月に東洋宗教との対話、秋には聖書講座を毎年行っています。
──最後に、11月に教皇フランシスコが来日されますが、何か計画されていますか。
イエズス会日本管区長と、この「SJハウス」の院長は、教皇とイエズス会アルゼンチン管区時代からのつながりがあるので、教皇が来校されることを期待しています。また、夏にはイエズス会の総長(アルトゥロ・ソサ・アバスカル)が来日され、7月31日、上智大学関係者との集まりを予定しています。