松蔭中学・高校の生徒が26日、夏服に衣替えして1カ月半ぶりに分散登校した。以下の記事は1年前のちょうど同じころに掲載したもの。
松蔭中学・高校(兵庫県神戸市、浅井宣光〔のりみつ〕校長)では2019年5月13日、一足早く純白のワンピースの夏服へ衣替えした。通常5月下旬に行われる衣替えだが、同校では、教員が気象予報に基づいて決める。この時期、女子生徒たちの涼しげな制服姿は、神戸の夏の風物詩だ。
同校の制服は、夏は純白、冬は紺色のシルエットが美しいワンピースで、90年以上にわたり同校の伝統を受け継いできた。制服をデザインしたのは、当時では珍しい婦人服デザイナーとして活躍していた卒業生の保護者。女学生の制服は和装がほとんどだった中、外国人宣教師と相談しながら、牧師の着用する服などもイメージして、ミッション・スクールにふさわしいデザインを考案した。ワンピース、ツーピース、セーラー服の3種類で実物見本を製作し、その中から最もふさわしい制服としてワンピースが取り入れられた。
制服の着用は、1925(大正14)年6月1日の夏服から始まった。水色厚手ギンガムの長袖のワンピースに、白いカラーとカフスのついた清楚(せいそ)なデザインで、白いバックルのついた黒皮のベルトをしめ、白いストッキングに白靴を履き、紺色のリボンを結んだ帽子をかぶった。長袖にしたのは、「女性は肌を見せてはいけない」という女性宣教師の教えによる。純白のワンピース・スタイルになったのはその3年後で、生地も柔らかい富士絹に変えられた。そのデザインはいっそう優雅で美しく、制服に身を包んだ少女たちは小さなレディーのようだったという。
現在でもその夏服が6月から、冬服が10月から着用されている。ただ、夏服は半袖となり、襟の形や大きさも変更され、当初とは印象が少し違っている。女子高生に白いルーズソックスが大流行した時には、SMSマーク入りのソックスが取り入れられるなど、時代の流行にも適応した。さらに、生地の素材も変えていくなど、常に生徒のおしゃれ心を満たし、誇りを持って制服を愛用できるよう、制服の伝統を守ってきたのだ。
夏服・冬服の胸元にある赤い刺繍は「SMS(Shoin Mission School)」を図案化したもので、同校の図画教師が考案した。このマークには「神様はここ(胸)におられる」という意味が込められ、制服の美しさを引き立てるポイントとなっている。
松蔭中学校・高等学校は、1892年に英国国教会の宣教師によって松蔭女学校として設立された。1915年に、松蔭高等女学校となり、戦後の学制改革により、松蔭中学校・高等学校と名前を変えて今日に至っている。
神戸出身のクリスチャン画家・小磯良平(こいそ・りょうへい)も1930年ごろ、松蔭高等女学校の洋画同好会の指導に当たった。当時、冬服の制服着用時にかぶっていた紺色のフェルト帽をデザインしたのも小磯で、校歌(作曲:山田耕筰)の楽譜の表紙にも制服姿の松蔭生を描いている。小磯の代表作「斉唱」のモデルは、同校の冬服を着た女子生徒とされる(三浦綾子『銃口』のカバー装画にも使われた)。
校名の「松蔭」は、発祥の地である神戸市の北野町に大きな3本の松の木があったことに由来する。今でも「三本松」という地名が残っており、そこに松蔭創立記念碑がある。宣教師たちは、松で象徴される日本の文化を尊重しつつ、教育という方法でキリスト教精神を日本の若い女性に伝えようとしたのだ。
ちなみに、松蔭大学(神奈川県厚木市)、松蔭中学校・高等学校と松蔭幼稚園(東京都世田谷区)があるが、その校名は吉田松陰から取られており、大阪樟蔭(しょういん)大学、樟蔭中学校・高等学校と樟蔭幼稚園(東大阪市)も「樟(くす。楠木正成夫人)の余芳の蔭」という意味。米子松蔭高等学校(鳥取県米子市)や松蔭高等学校(名古屋市)もあるが、系列は別で無関係。