6月27日「宗教的操作」

 男性でも女性でも、自分の宗教を手に入れた時、最初にいつも起こることがある。それは宗教を「他人を支配するための道具」に変えてしまうことである。「自分の立場」に他人を押し込めたり、留まらせようとしたりする、そのために宗教を使おうとしてしまう。そのような宗教による人格の操作や威圧は、長い歴史を持っている。だから、宗教の歴史は退屈で冗長なものに見える。だから「宗教というものはそういうものだ」と経験するために、世の中の人々が宗教から逃れて解放され、これこそ「自由」だと理解していることは驚くに値しない。ただ、その「自由」は結局、短命に終わってしまうことが問題なのである。

あなたがたは実に見事に走ってきましたね!
いったい誰が割り込んできたのだろう。
「従順」という真の筋道から
あなたを逸らせてしまったのは、いったい誰なのだ。
―― ガラテヤの信徒への手紙5章13節a

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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