ルツ記が明確に牧会的な文書となったのは、五旬節(ペンテコステ)の朗読が割り当てられた時である。シナイ山での契約の啓示は、五旬節(ペンテコステ)の宣教のテーマである。その儀式では「モーセ五書(トーラー=律法)が読み上げられ「出エジプト記19章~20章」に記されたシナイ山での啓示の物語が語られる。その日の出来事が儀式を通して記憶されて行く。イスラエルの民はシナイ山で「贖(あがな)われたいのち」が示す構造と方向性を見出したのである。過去が定義され、未来は規定されたのである。そのようにして、人々の日々の行動は、出まかせの経験の連続ではなく、恣意的で、思い付きで、予想不可能なものではなくなった。それは「物語」となったのである。 ―― つまり、筋書きがあり、構造があり、目的があり、狙いがあるものとなったのである。一人ひとりの人生の詳細にわたって、それは大きな物語の一部となった。その「大きな物語」とは「救済の物語」である。神はシナイ山で、ご自身の方法を啓示されたのである。全ての行動と全てのつながりは、「贖い助け救う物語」に組み入れられていることを、神が啓示されたのである。人々は神がどのような存在で、自分が神に対してどのような立場にあるかを見出したのである。今でも多くの教会(ユダヤ教とキリスト教のどちらも)は、五旬節(ペンテコステ)の最初の祝いの日に、若者の堅信礼が祝われる。堅信礼とは、アイデンティティーに関わる儀式である。すなわち堅信礼とは、「わたしたちと向き合う神が、その関係において、ご自身をどのように示されたか」に基づいて、「自分が何であるか」を確認する儀式である。
あなたの子どもには、正しい方向を教えなさい。
その子が大きくなった時に、迷わずに済むように。
―― 箴言22章6節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。