12月27日「悔い改めにふさわしい実を結べ」

悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。(ルカによる福音書3章8節)

福音書記者ルカは、主イエスの前に登場したバプテスマのヨハネの時代背景を、ローマの皇帝、総督、パレスチナの領主、ユダヤの大祭司の名前をあげて、詳しく述べる。「皇帝ティベリウスの治世の第15年」は、紀元28年から29年と推定される。主イエスの救いは、全人類にかかわる歴史的な出来事である。

ヨルダン川において宣教したバプテスマのヨハネは、イザヤが預言したように「主の道を整え」(4節)るために遣わされた荒れ野で叫ぶ声である。ヨハネは父祖アブラハムを持つ自分たちは神の民であると安心していたユダヤ人に今日の聖句を語って、悔い改めの実を結ばなければ神に捨てられると警告した。彼が語る悔い改めの実は、貧しい人に分けてやることであり、人から取りたてたり、ゆすり取ったり、だまし取ったりしないことである。すなわち、律法が求める愛と正義を実践することである。ヨハネは律法の実践を人々に求めただけでなく、自分にも厳しく課した。主イエスはバプテスマのヨハネのことを、「およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(7章28節)と言った。主イエスの到来によって、律法による救いではなく、罪の赦(ゆる)しによる救いがもたらされたからである。しかし、律法による神の要求の厳しさを知らなければ、罪の赦(ゆる)しは安価な恵みとなるであろう。ヨハネは律法の実践を厳しく求めることによって、人々に罪のいかなるかを示し、救い主イエスを受け入れる備えをさせるのである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

この記事もおすすめ