わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。(ルカによる福音書1章46~47節)
マリアの賛歌である。「主をあがめ」の原意は「主を大きくする」である。「御名が崇(あが)められますように」(マタイ6・9)という祈りは、自分が大きくされる事を願うのではなく、神が大きくされることを願うのである。自己実現を祈るのではなく、神のみ栄えのために生きられるようにと祈る。
私たちは地位を得よう、経済的な力を得ようとする。努力することや競争することは悪いことではない。しかし、人よりも上に立とうとする上昇志向の生き方は、他者を押しのけ、利用する。そして、優位に立つと他者を見下し、踏みつける。反対に自己実現に失敗すると、他者を恨んだり、卑屈になる。経済的な力や社会的地位はやがて消えてゆく。それらが結果として与えられたものであれば、他者に仕えるために有意義に用いられようが、それらを得ることが目的の上昇志向の人は他者に仕える喜びを知らない空しい人生を終える。
神は「権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く引き上げ」(52節)る。この逆転は、神の支配が完成する終わりの日に明らかになる。権力や富に頼もうとする者は、神にお会いする機会を失い、終わりの日には空しさの中に滅んでいく。神を崇めず、自分を大きくしようとするところに人間の罪がある。しかし、身分の低い者、飢えた者など、自分の弱さや貧しさを知る者は、幸いである。神とお会いする機会を与えられ、神に愛され、神の栄光のために生きる人生を知るからである。「貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである」(6・20)。