10月16日「キリストは私たちの平和」

実に、キリストはわたしたちの平和であります。(エフェソの信徒への手紙2章14節)

神は人が殺し合い、命を粗末にする戦争を望まない。神はイスラエルの律法に、また人間の良心に、「殺すな」という神の意志を刻んだ。神はいつまでも神の意志を踏みにじる世界を放っておかれない。神は時を定めて、神の意志を実現するために人間の歴史に介入される。

今、神は「殺すな」という律法によらず、今日の聖句が宣言するように、御子(みこ)キリストによって平和を実現する。すなわち、神はキリストの十字架によって人の罪を明らかにしつつ、その罪を赦(ゆる)し、敵意という隔ての壁を取り壊す。神の方から、神の意志を踏みにじった罪人に和解の手を差し伸べる。私たちがキリストによって差し伸べられた罪の赦(ゆる)しと和解の手を握って、自分の罪を告白し、赦しを願う時、私たちは神に義とされる。神に義とされ、神との正しい関係を持つようになった者は、人と人との新しい関係を築いてゆく

アバルトへイト(人種隔離)撤廃のために非暴力で戦ったデズモンド・ツツ司教は、和解は罪の事実を認めて、神と人との前に赦しを乞うことである。そのために過去の事実を検証するのである。過去を忘れる者は未来に同じことをする」と語った。神と人間との間が引き裂かれている限り、人間が平和を叫んでも、世界は変らない。キリストによる罪の赦(ゆる)しを受け、神に義とされて初めて、勇気をもって罪を告白し、謝罪が可能となる。罪の赦(ゆる)しを求めるところに、正義と和解が実現する。「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣(つるぎ)を打ち直して鋤(すき)とし、槍(やり)を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ24)

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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