9月23日「なぜわたしを迫害するのか」

サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか。(使徒言行録94節)

エルサレムの迫害を逃れた信徒たちを追いかける男がいた。その名はサウロ、石打ち刑によるステファノの殺害に立ち会ったパウロである彼は信徒の集まりを見つけ出し、「殺そうと意気込んで」(1節)、ダマスコへ向かっていた。教会を迫するパウロの行為は大祭司による公認であった。ダマスコへの途上、突然、天からの光がパウロを照らし、彼は地に倒され、今日の聖句で呼びかける声を聞いた。彼が「主よ、あなたはどなたですか」とうと、その声は「わたしは、あなたが迫しているイエスである」(5節)と答えた。パウロはしばし目が見えなくなったが、アナニアの手引きを受けることによって、目のうろこが取れ、イエスが復活して生きている神の子キリストであると分かった。そして、十字架の木にかけられた主イエスを、これまで神に呪われた者と見ていたが、「わたしたちのために呪いとなっ」(ガラテヤ3・13)たことが分かった。また、パウロが迫害していた教会をご自分と体とする主イエスの言葉によって、教会は「キリストの体」(Iコリント12・27)であると分かった

彼はダマスコ教会でバプテスマを受けた後、諸会で大胆にイエスを神の子と宣べ伝えたパウロはアナニアの引きや、三年後に出会うペトロ(ガラテヤ1・18)などによって、教会の福理解を共有したと思われるが、しかし、「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」(ガラテヤ1・12)と言う私たちも教会の福音理解に沿って信仰を告白するが、私の信仰の目を開いてくださったのは主イエスであるという信仰こそ大切である。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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