皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。(ルカによる福音書20章25節)
主イエスを陥れる機会をねらっていた律法学者や祭司長たちは、彼を総督に引き渡すという策略をもって、回し者を遣わした。回し者たちは、主イエスに心にもないほめ言葉を言ってから、ローマ皇帝への納税の是非を問うた。主が納税を否定すれば、彼をローマ皇帝の反逆者として訴えることができる。反対に、主が納税を肯定すれば、ローマの支配を屈辱に思っている民衆は失望し、彼から離れるであろう。どちらに答えても主イエスを陥れることができる。これが律法学者や祭司長という指導者たちの策略であった。主イエスは皇帝に納めるデナリオン銀貨を持ってこさせ、「そこには、だれの肖像と銘があるか」(24節)と問うた。彼らが「皇帝のものです」と言うと、主は今日の聖句をもって答えた。
主イエスは「皇帝のものは皇帝に」と言って、皇帝への責任は果たせと言われる。しかし、「神のものは神に」という言葉によって、皇帝と神とを区別し、皇帝は神でないことを断言した。皇帝であれ国家であれ、この世の権威は神の支配の中にある。為政者、指導者が間違った支配をすれば、神は時を定めてその権威を取り上げる。主イエスは私たちが神の支配を信じて、この世における責任を果たすことを求める。さらに主イエスは、「神のものは神に返しなさい」と言った。その体に神の像を刻まれた人間は「神のもの」である。主は私たちが神の像を刻まれた自分の体を神にささげ、神の栄光を現すべきことを命じた。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐(あわ)れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献(ささ)げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12・1)。