初めの一歩、終わりの…… 上林順一郎 【夕暮れに、なお光あり】

60年昔、神学校最終学年の11月に卒業後に赴任する教会について神学部長と面談がありました。「来春赴任する教会について希望の地域があるか、また主任牧師の下での伝道師か、それとも主任の伝道師で行くか?」と聞かれました。即座に「関西地域か中四国の小さな教会に主任の伝道師として行きたいです。できれば山があって、海があって、近くに温泉があればなおイイです」 。部長はひと言「分かった」と。

年が明けて再び面談がありました。「君の赴任先だが、東京の新宿にある早稲田教会に伝道師として行ってもらいたい」「先生、希望とはまったく違うのですが」「……」

大阪生まれの関西育ち、東京に親戚や友人など1人もなく、それに関西弁しか話せない私が、結局その教会に40年も在任しました。

モーセは40年間、荒れ野を彷徨しました。私は「荒れ野の40年」と言われた日本基督教団の混乱期を右往左往しながら早稲田教会で過ごしました。モーセは「約束の地」を見ずしてヨルダン川の手前で生涯を終えた時、「百二十歳であったが、目はかすまず、気力もうせていなかった」(申命記34章7節)とありますが、私は60代半ばにしてすでに足はヨロヨロ、気力はヘロヘロ、これ以上牧師は無理だと隠退を考えました。

James WheelerによるPixabayからの画像

「大きなことを成し遂げるために、力を与えてほしいと神に願ったのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。偉大なことができるように、健康を求めたのに、より良きことをするようにと、病気を賜った。世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、失敗を授かった。求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。神の意に添わぬ者であるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた。私は、最も豊かに祝福されたのだ」。ニューヨーク大学リハビリテーション病院の壁に書かれていた言葉だそうです。

隠退を決意した時、突然群馬県の山間部にある教会から招聘がありました。山があって、清流が流れ、近くに有名な温泉がいくつもあり、しかも教会の隣りが「金星酒蔵」という造り酒屋、初の「金星」を得ました。

70歳で思いかけず四国松山の教会に転任、そこには豊かな山の幸、海の幸があり、太古からの温泉もあって高齢者には心身ともに平安の5年間でした。82歳を過ぎて人生もあとわずか、希望に反した「初めの一歩」からすべてが豊かに祝福された「終わりの満歩」へと歩みつつあります。

 

かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』『ふり返れば、そこにイエス』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

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