8月27日「つまずき、それをもたらす者は不幸である」

つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。(ルカによる福音書17章1節)

主イエスは「わたしにつまずかない人は幸いである」(マタイ11・6)と言った。信仰は躓(つまず)きの石を飛び越えて、主のふところに飛び込むことである。信仰生活を始めたのに、他の兄弟姉妹に失望して教会から離れる人もいる。信仰の道には躓きの石がたくさんある。それらを飛び越えて、ただ主に目を向けて歩むのが信仰生活である。

主イエスは今日の聖句で、躓きは避けられないが、人を躓かせる者は神に裁かれるという。信仰の躓きは、その人の永遠の運命にかかわるからである。しかし、裁きからの救いが十字架のもとに用意されている。人を躓かせた罪に気づいたら、悔い改めて十字架のもとに帰らなければならない。十字架のもとには罪の赦(ゆる)しと、罪から立ち直らせてくださる神の力がある。

続けて、主イエスは弟子たちに、兄弟の罪を忠告し、兄弟が悔い改めたら、その都度、無制限に赦すようにと命じる。そこで、弟子たちは主にわたしどもの信仰を増してください」(5節)と願った。彼らは主から命じられたことを行うには、自分たちの信仰が弱いと考えた。すると主イエスは、からし種一粒の信仰があれば、不可能が可能になると言った。信仰は強い、弱いではない。主イエスは信仰の強弱に目を向けている弟子たちの目を、神に向けさせる。信仰は神を仰ぎ、神がなさることに委ねることである。弟子たちはこの信仰をもって、主から命じられた働きをすればよい。そうすれば、自分のしたことを誇ることも、また気落ちすることもない。私たちは私たちを弟子として召した主イエスに、「取るに足りない僕(しもべ)」(10節)であることを告白しつつ、主から命じられた奉仕をする。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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