福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わリまで信仰を通して実現されるのです。(ローマの信徒への手紙1章17節)
この世界は紛争と衝突が絶えず、平和への道のりは遠い。まわりを見ても、組織や家庭に争いと分裂がある。人間は自己中心で、利害や意見を異にする者を排除し、傷つけている。相手に与えた傷は取り返しがつかず、傷つけられたほうの人間は報復に走ろうとする。世界であれ、家庭であれ、人が共に生きる共同体に必要なのは赦(ゆる)しと和解である。しかし、赦しほど難しいものはない。私たちは聖書が言うところの罪人であって、自分で罪を解決することはできないからである。
人間の罪を解決し、平和を実現してくださるのは神である。キリストの福音は、人間の罪を無条件に赦してくださる神の言葉である。しかし、罪を無条件に赦すなら、正義はどうなるのか。パウロは今日の聖句で、「福音には、神の義が啓示されています」と言う。神が罪を赦すのは、罪や不正を曖昧(あいまい)にして水に流すというのではない。神が世に遣わした御子が、私たちに代わって罪に対する処罰を受けて死んだ。ここに神の義と愛が貫かれている。神は、御子イエスの十字架の死と復活の出来事を通して、罪人を無条件に赦す福音を語っている。
この福音が私たちに救いとなり神の力となるのは、「初めから終わりまで」信仰である。ご自身の御子をさえ惜しまないで、私たちすべての者のために死に渡された神を、感謝と謙虚な心で受け入れる信仰である。信仰によって罪を赦され、神との間に平和を得る時、私たちは他者を赦す「新しい人」に造り上げられてゆく。私たちは神に赦され、神と和解することによって、互いに「一つの霊に結ばれ」る(エフェソ2・18)。