目の前の食事をよく味わう 向井真人 【宗教リテラシー向上委員会】

熱中症予防としても食事は大切だ。日本人は食前に「いただきます」、食後に「ごちそうさま」と手を合わせてから言う。お茶をいただく時は、すこし頭を下げ、ささげ持つ。食前の祈り同様、食べ物を前にしたら誠実になるように私たちは育てられる。

「いただきます」の歴史は浅く、唱和の風習は昭和になってからである。食べ物自体や用意してくれた人物に対して、感謝を表現するよい習慣だ。唱和すれば落ち着いて食事を取ることができるし、身近な幸せに気付きやすくなる。

禅の世界では、料理をすることも、食事を受けることも、食べることも仏道修行であり、そんな料理が「精進料理」である。食事を受けて食べるときに読む「五観の偈」というお経がある。

 〈一つには、功の多少を計り彼の来処を量る(意訳:生産者の苦労や努力、食べ物が目の前にやってくるまでの道のりに思いを馳せる)〉

目の前のナスの揚げ浸しを食べるのは、ちょっとした接点の危うさの上に成り立っている。スーパーで高知県産か熊本県産か、何気なくナスの袋を手に取る。袋に入っている4本のうち2本を使う。皿に盛ったうち片方を食べる。同じナスでも違うナスである。

〝いつもの食事〟ではなく、奇跡の一皿として有り難くいただきたい。すると、食事だけではなく日常全体もナス同様に一期一会であると気づく。身近な幸せに気付きやすくなる。縁起により成り立っていることがよく理解できる。

 〈二つには、己が徳行の全欠を忖って供に応ず(意訳:食事をいただく前の私はどのような道を歩んできたか問い、食べよう)〉

生き物は食べないと死ぬ。自分の行ってきたことは、この食事を食べるに値する内容だろうか。修行者が良い習慣(戒律)を保って生活しており、時折反省会(布薩)をするように、毎食時に確認をしたい。

 〈三つには、心を防ぎ過貪等を離るるを宗とす(意訳:仏道修行とは、むさぼり・いかり・おろかさと上手く付き合うことが目的だ。心は本来清らかさであふれていることに気づいておこう)〉

ほしい! 思い通りにならない! の気持ちがどのように発生しているか確認する。これが自分だ!と思い込まずに、もっと外からの仏の視点を持とう。

 〈四つには、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり(意訳:食事はこの心身を形成していると理解して食べよう)〉

食事によって生き物は生きながらえている。食事とは、食べなければ痩せ衰えてしまう生物の摂理を治療する薬と認識しよう。好き嫌いは置いておく。

 〈五つには、道行を成ぜんが為にまさにこの食を受くべし(意訳:仏道修行をするために食事をいただこう)〉

食事とは以上のような仏道修行成就のためであり、見た目がいいなど世間的な価値観は置いておく。

7月、8月のお盆。9月の秋のお彼岸と近しい逝った人を偲ぶ機会が続く。故人を自分の身に引き寄せて考える、すると自然にその人の生き様が自分の人生に汲み取られていく。命を引き継ぐ機会を定期的に取ってほしいためにも仏教行事がある。お盆には、食事の乗ったお盆を供える。お盆同様に、1日3度ある食事も自分と向き合う時間としたい。忙しい日々を送る私たち。はじめのひと口だけでもよい。目の前の食事を、よく味わいたいものである。

向井真人(臨済宗陽岳寺住職)
 むかい・まひと 1985年東京都生まれ。大学卒業後、鎌倉にある臨済宗円覚寺の専門道場に掛搭。2010年より現職。2015年より毎年、お寺や仏教をテーマにしたボードゲームを製作。『檀家-DANKA-』『浄土双六ペーパークラフト』ほか多数。

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