学年末を迎えて 山森みか 【宗教リテラシー向上委員会】

ユダヤ暦の新年は秋である。教育機関の新学年も秋からで、高校までは西暦の9月1日、大学は秋の祭日(新年・大贖罪日・仮庵祭)が終わった10月ごろから始まるのが通例である。だが昨年は戦争のため、私が勤務する大学は2カ月遅れで始まった。大学が開講を遅らせたのは、中等教育機関とは異なり、多くの学生が予備役に召集されていたからである。だが2カ月遅らせても、予備役の学生たちは召集先から戻ってきていなかった。それ以上遅れると学年そのものが成立しなくなるので、やむなく一部学生が不在のまま開講されたのである。1学期の半ばになってようやく予備役学生たちが戻ってき始めたが、その時はまだこれほど戦争が拡大し長引くとは予想されていなかった。

通常14週間の学期が11週に短縮された1学期が終わり、試験期間と過越祭が過ぎた5月に2学期が始まった。戦争が長引くにつれて死傷者の数も増大する。身近な人が犠牲になるケースも増える。疎開中の人が家に戻れる見通しも立たない。外部の人々はさまざまな視点から事態を分析、論評するが、これだという明確で具体的な解があるのなら事態がこれほど拗(こじ)れることはなかった。内部から見ると問題はそれほど単純ではない。またデモなどのアクションを行ったからといって、それが具体的効果を上げるわけでもない。外部の人々には理解されず、内部で何か動かすことも難しい。

次第に人々は無力感に囚われるようになる。本当に深刻なことは、クラスで言明されることはなく、多くの場合廊下や中庭での立ち話や個人メールで伝えられるのだが、2学期の中ごろには、自分は抑うつ状態で勉学が手につかず、登校も困難だという学生が増えてきた。実際、いつどこから攻撃を受けるか分からない日々が続き、大学はなぜすべての授業をリモートにしないのかという声も聞かれるようになった。軍当局の行動指針に変更がない限り大学が全リモート化に踏み切れない事情は分かる。一度踏み切ったら、状況が変わらない限り対面に戻す合理的きっかけを失うからである。とはいえ、登校したくないという学生に出席を強いるのも難しい。すべての授業は録画されているので、欠席の学生には後で視聴してもらうしかない。

大学の教員は、特に心理学的訓練を受けているわけではない。だがドアを開けて教室に入ったなら、そこは誰にとっても精神的に安全な空間にしておかなければならない、ということは明らかだった。学生の中にはユダヤ人もアラブ人もいる。それぞれの学生が自分の立場に関係なく話せるトピックをどう設定し、対面のクラスに来て良かったと思えるようにするか。また「日本の夕べ」といったイベントの準備も課題となった。イスラエル人には、どんな状況下でも生を楽しむのが生きている側の義務だという考え方がある。全員は無理でも、余裕がある人は楽しいイベントを準備、実行しなければならないのである。傍目(はため)にはお気楽に笑っているように見えても、そこに複雑なものがあることは当事者は皆分かっている。「そう見える」ことは必ずしも「内実もそうである」ことを意味しない。だが、それが外部には伝わりにくいのも理解できる。

毎日薄氷を踏むような思いだったが、授業も最後まで、またイベントも学年末試験も対面で行うことができた。だがこの1年、学生たちが安心できる場所を提供できたのか、自信はない。戦争はまだ終わる気配を見せず、今学年も厳しい状況で始まるだろう。状況が改善される日が来ることを願っている。

山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。

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