【インタビュー】今井館教友会理事長・西永頌さん 内村鑑三から受け継ぐのは「罪の赦しの信仰」(下)

西永頌さん

内村鑑三および後継者の著書・資料を収集しキリスト教伝道を支援する拠点である今井館。その理事長を務める西永頌(にしなが・ただう)さんに、内村鑑三の思想と、無教会について引き続き話を聞いた。

───今井館の源流である内村鑑三の思想とはどういうものなのでしょうか。

一言で言えば聖書に帰れという思想です。聖書が何を語るかを深く学び、そこから我々の生き方を学んで行こうとするものです。内村の活動の拠点は聖書研究会でした。そこでの講義を「聖書之研究」という個人雑誌に掲載し、日本全国の読者に発送しました。聖書を非常に大切にするという考えは無教会に脈々と流れ、無教会の信徒から聖書翻訳家が輩出しました。また、聖書を深く学ぶことによって、その学びを実際の生活に生かす人も出てきました。医者や実業家、土木技術者など工学者も多く誕生したのです。

内村の信仰は、十字架による罪の赦(ゆる)しがその中心でした。内村は61才のとき、キリスト教という名前をやめて「十字架教」にするべきだとまで言ったほどです。晩年、心臓の病により、今井館で聖書講義をすることができなくなりましたが、弟子たちの講義を聞き、お祈りだけをされていました。その祈りは、「私の罪をお赦しください」というもので、それも時には涙を流して祈っておられたと矢内原忠雄が述べています。内村鑑三にとって十字架による自分の罪の赦しは、それほど大きなものだったのですね。今井館はそのことも伝えて行かねばと個人的には思っています。

今井館の前に立つ内村鑑三(写真:Masao Sekine、”Uchimura Kanzo” by Shimizu Shoin)

───内村鑑三が提唱した無教会について具体的に教えてください。

無教会には、教会の様な建物や組織はありませんが、集って礼拝をおこないます。賛美歌を歌って、お祈りもしますが、聖職者による説教はなく、集会が決めた者が聖書講義や聖書講話を行います。また、洗礼式や聖餐式など教会で行われる儀式も多くの無教会集会では行っていません。しかし礼拝である限り、その場で神を賛美し神の御言葉を霊的に頂きます。礼拝を通じて聖書を学び、聖書から学んだことを日常生活にどう生かすかを語り合うこともいたします。

ただ、誰でも聖書講義や聖書講話ができるというわけではありません。やはり聖書に書かれている本当の意味を知るためには、新約聖書でしたらギリシャ語の知識があったほうが良いし、旧約聖書ならヘブライ語が分かると理解はそれだけ深まります。しかし、霊的な力により、その様な知識がなくても深いお話が出来る方が何人もおられます。そういう人を集会が選んで聖書講義をしていただきます。また独立して集会を持たれて聖書講義・聖書講話をされる独立伝道者のような方もおります。

─── 一般の教会だと救われた経験をし、洗礼を受けて、クリスチャンになったという自覚が生まれるように思うのですが、無教会はいつクリスチャンになるのでしょうか。

クリスチャンの自覚は、神を信じた時であり、特に洗礼とは関係がないと考えています。キリスト教講演会などで講演を聞いたり、キリスト教関係の著作を読んだりして、そこから信仰に入る人が多いと思います。私が学んだ関根正雄先生も「預言と福音」という雑誌を発行していましたが、無教会の伝道者は個人雑誌を出されていて、それを読まれて集会に来られるという場合もあります。洗礼証書もないし、資格もありません。ただ神から信仰を与えられるときに、信仰を持つに至ります。

───その信仰とは、内村鑑三が終生祈り続けた罪の赦しということでしょうか。

それぞれの方がそれぞれの信仰を持っておられますので統一的なことは申せませんが、その中心はイエス・キリストの十字架により自分の罪が許されたことを知ることだと私は思っています。関根正雄先生は、罪とは自分が小さな神になることだとおっしゃっていました。つまり、罪とは自己中心性ということです。罪は他人を愛せないことにあらわれます。罪を知り、十字架による罪の許しを体験をすることにより、神と共に生きる新しい人間が誕生すると聖書は教えていると思います。イエスのあの苦しい十字架が自分の罪のためにあったと知る時に、私たちの自我は打ち砕かれ、隣人を愛することに押し出されてしまいます。

───西永さんはどのようにして無教会の信徒になられたのでしょうか。

無教会キリスト教徒だった父が家庭集会を開いてくれたので、小さい頃からそういう環境にありました。反発していた時期もありますが、名古屋大学に進学してからは、名古屋聖書研究会という無教会の集まりに参加しました。しばらくして、豊橋技術科学大学に赴任し、6年間ほど豊橋聖書研究会で勉強し、その後、東京大学に赴任したものですから、そこで無教会新宿集会に参加するようになりました。

その集会を主宰していたのが、関根正雄先生でした。旧約聖書の世界的権威者で、お一人で翻訳された旧約聖書は、岩波文庫からシリーズ化されており、1997年にはそれを改訂し一冊の本として教文館から出版されています。私は43歳のときに先生に出会い、東大を定年退職する60歳まで17年間、無教会新宿集会で聖書を学びました。

───聖書講義もされるのですか。

関根先生が主宰していた集会では、前講という仕組みがあって、その中で私も詩篇の講義を10年以上していました。それと並行して、私の住まいがある柏市で、自由学園創立者の羽生もと子さんが設立した婦人之友の読者の会「友の会」のメンバーを中心に、月1回土曜日に逆井聖書集会を主宰しています。もう20年以上になります。

───西永さんは、電子材料・物性工学で半導体の結晶を作るのがご専門ということで、科学者として仕事をする一方で、聖書講義を続けてこられた。科学と聖書、何か特別なことのように感じてしまうのですが。

科学者でクリスチャンの方は結構多数おられます。内村鑑三も、札幌農学校を卒業してから水産学に従事した時期がありましたし、矢内原忠雄も社会科学者でした。私は、神の世界は科学の世界を含みつつ次元が異なると理解しています。神の世界は科学では必ずしも説明できるものではありません。神について科学は謙虚でなければならないと思っています。

【インタビュー】福音伝道の場を公共にも役立てたい 今井館教友会 西永頌理事長(上)

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