【塀の中からハレルヤ!】(5) 憧れの東京で自分を見失った半生から逆転人生へ

進藤龍也牧師の著書は、「刑務所の教誨師がキリスト教誨の時に教材として使用することがあり、進藤牧師が矯正教育のDVDに登場することもあるという。受刑者は出所後、進藤牧師に会いに来ることがあるが、事前に電話をしてくる受刑者は少ない。社会から拒絶され続けてきた彼らは、電話をした時点で、進藤牧師から拒否されることを恐れているからだ。彼らは突然教会のドアを叩く。

荻原美邦(おぎわら・よしくに)さん(63)もその一人だ。山梨県の静かな田舎町で荻原さんは育った。萩原さんは、5人兄弟の一番末っ子。幼い頃から短期な性格で、「わがままだった」と自身の過去を振り返る。両親に遊んでもらった記憶はあまりない。寂しいとも思わなかったが、高校を中退した後は、憧れていた東京に17歳で家出同然で逃げ出てきてしまった。

上京後は、一年ほど印刷会社に勤務するが、あまり長続きせず、その後は水商売を点々としていた。勤務していた店には、いわゆるヤクザも出入りしており、徐々にその世界に染まるように。「若い頃は、とにかく刺激が欲しかった。あまり罪悪感もなく、露天商などの仕事も言われるままに続けていた」と話す。萩原さんは、その後、暴力団の組員になり、暴行や窃盗を繰り返し、薬物を売るようになった。

薬物は売ることが主な目的だったが、ごくたまに使用することもあったが、常用することはせず、薬物が理由で逮捕されたことは一度もなかったという。29歳で初の逮捕。窃盗で10ヶ月服役した。その後、窃盗を繰り返すことになる。

「お金が欲しいとか、バレなければいい・・・という短絡的な発想で罪に手を染めていってしまった」

刑務所に出たり、入ったりする中で、「今度こそまじめに働こう」と思った時期もあったが、長期的な仕事に就くのは難しく、「とりあえず」と手当たり次第に働いては、すぐに辞めるを繰り返した。

大阪の刑務所で服役中、初めて進藤牧師がほんの十数分だったが、テレビ番組に出演しているのを見た。かろうじて「進藤龍也」という名前、埼玉県川口市に教会があることは覚えていたが、周りが騒々しく、何を話していたかは聞こえなかったという。

53歳で出所した後、生活の拠点にしようと頼りにしていた友人が突然の失踪。住む場所を失った萩原さんが、思い出したのが進藤牧師の名前だった。川口警察署に出向き、「出所者を支援している進藤という名の牧師がいる教会を教えてほしい」と尋ねた。警察で罪人の友 主イエス・キリスト教会(通称:罪友)の住所を聞き、直行した。

初めて見る進藤牧師は、いかにも・・・といった感じだったが、歓迎してくれたのを感じ、安堵した。
罪友での生活は、自立への練習と聖書の学びが基本。初めて開く聖書は、全く意味がわからなかったという。「正直、生活のため、しょうがない・・・と思ったこともありました」と当時を振り返った。しかし、何度も繰り返し聖書を読み、進藤牧師と話をする中で、徐々に「信じてみようかな」と思い始めた。

しかし、平和な生活をしていた矢先、またも悪魔の誘いに乗ってしまった。ホームセンターで買い物中、一瞬魔が差して、安全靴を盗んでしまったのだ。警察と話しをしている時も、真っ先に進藤牧師の顔が浮かび、裏切ってしまったという申し訳ない気持ちと、それよりも自分を選んでくれた神様にも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

2年7ヶ月の実刑判決の後、再び塀の中へ。ひたすら聖書を読み、教会宛てに手紙を書いていた。

57歳で出所。「二度と犯罪に手を染めない」と神様に誓い、罪友でやり直すことに。それから、約7年。朝2時に起床し、運送業の仕事をまじめにこなしている。

「刑務所の中は自由もなく、本当に辛いけど。社会で生きていくのはもっと大変。特に前科のある者にとっては、信用を取り戻すためのマイナスからのスタート。それでも、今の生活は、63年の人生の中で一番人間らしく、充実していると感じている。教会へ行っていなかったら、一生、刑務所に出入りする生活を繰り返していたでしょう」と話している。

大きな目標は今のところないが、まじめに仕事をして、たまに外食をしたり、映画をみたりする今の安定した生活を続けることが目標。

「神様とともにこれからも生きていきたい」と話した。

塀の中からハレルヤ!(4) 叶わなかった親孝行

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