児童福祉の現場から(1) みかんを皮ごと食べる青年の話

全国各地で、度々目にする児童虐待のニュース。「かわいそうな子ども達」の現状は、どこか遠い場所で…またはニュースを伝える画面の中で起きている出来事だと思っていた。
しかし、そんな「かわいそう」だと思っていた子ども達と、毎日のように接することになった私は、福祉従事者である前に神に仕える一人のクリスチャンとして、何ができるのか…。葛藤の日々を少しずつ綴っていく。

虐待に気づかない子ども

「児童虐待」という言葉を耳にするとき、私たちが一番初めにイメージするのは、父親、母親などから身体的な暴力を受け、傷ついている子どもの姿ではないだろうか。確かに、こうした「身体的虐待」は、目につきやすく、児童相談所に通報する時なども決定的な証拠になりやすい。しかし、厚生省が定義する虐待の種類は、大きくわけて4つある。叩く、蹴る、殴るなどの「身体的虐待」のほか、子どもへの性的行為、性的行為を見せるなどの「性的虐待」、食事を与えない、病気になっても病院に連れていかないなどの「ネグレクト」、子どもを脅す、子どもの目の前で家族に暴力をふるう、言葉による脅しなど「心理的虐待」が含まれる。

虐待は、家庭の中で起こることが多く、表面化するまでに時間がかかる。特に、幼い頃から虐待をされていた子ども達は、「大人は怖いことが当たり前」「自分が悪いことをしたから、食事は与えられなくて当たり前」などと思っている子どももいるため、自分自身が虐待されていることに気づいていないこともある。

実際、生まれてから十数年、ネグレクトをされていた少年に出会ったことがあった。彼の両親は、彼が生まれてからすぐに離婚。母親に引き取られた。母親は、男性を家に連れてきては、性的行為を彼の面前で繰り返していた。食事はろくに与えられず、勝手にものを食べると母親から叱責を受けた。母親にばれないように冷蔵庫から生のソーセージやハムを塊のまま口に突っ込む。果物はミカンもバナナも皮ごと食べる…いつしかこんな習慣がついていた。母親から逃げてきてから数年が経った今でも、彼が熱々の味噌汁を口にすることはない。火を使って温めたりすると、室内に匂いが残るため、「今まで温めて食べたことはなかったから」だという。

学校ではいじめを受けていたが、母親に話すことはできない。朝、「いってきます」とランドセルを背負ってでかけ、授業が終わるくらいの時間まで、公園や近くの空き地で過ごす。お腹が空いたら、公園の水でとりあえず空腹を満たした。

空腹に耐えられなくなって、離れ離れになった父親を捜しに、小さな足で出かけ、何十キロも歩いたこともあった。警察に保護されたが、すぐに家に連れ戻された。友人の母親に何度か訴え、再度警察に通報してもらい、一時保護となった。

一時保護になった後、彼は自立援助ホーム※にたどり着く。やっと空腹に耐える生活から解放されたのだった。しかし、そののちも彼は自死行為を繰り返したり、家出をしたりと問題行動が続いた。私が彼に会ったのは、この頃だった。今時といえば今時の普通の19歳の青年。少し早口だが、人懐っこく、よく話をしてくれた。
自分の成育歴についても、冷静に受け止めていたように見えた。

男子ばかり6人の自立援助ホームの夕飯。 30キロのお米はあっという間になくなる。

「親から暴力を受けたり、放置されて、辛かった時、周りの大人に一番して欲しかったことは?」と彼に聞いたことがあった。彼は即座に「お母さんを助けてあげて欲しかった」と答え、私を驚かせた。

壮絶な人生を生きてきて、その責任の一端を担っているであろう母親に対して、「二度と会いたくない」と言っていたものの、一方で「助けてあげて欲しかった」と願っていたのだった。その理由として、「幼い子どもにとって、母親の不幸は子どもの不幸。親が苦しむと子も苦しむ。きっと母も苦しかったんだと思う」と話した。

自立援助ホームを20歳で措置解除となった後、就職も決まり、毎日一生懸命働いている…と思っていた私たちであったが、彼が失踪したとの連絡を受けたのは彼が退去してからわずか半年も経たない頃だった。今も私たちには連絡がなく、行方はわからないままだ。

虐待されていた場所から保護さえすれば、子どもは幸せなのか…。
親から離して暮らし、国や県が子どもを育てれば、一般家庭と同じように子どもは育っていくのか…
心の傷は時間とともに消えていくのか…
自立は、どんな子どもでもできるのか…

神は、彼らに対して壮絶な試練を与えたが、その逃れる道として備えられたのが福祉施設なのだろうか。そうであるとするならば、神の御心にかなう支援とはどのようなものなのか。
毎日が祈りと問いかけの連続だ。

※自立援助ホーム 15歳から20歳までの家庭がない児童や、家庭にいることができない児童が入所して、自立を目指す家である。

児童福祉の現場から(2) 「愛着障がい」というモンスター

守田 早生里

守田 早生里

日本ナザレン教団会員。社会問題をキリスト教の観点から取材。フリーライター歴10年。趣味はライフストーリーを聞くこと、食べること、読書、ドライブ。

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