ムンバイに住む青年マニーシュは、ボリウッド映画に触発されて自己流ダンスを踊り出す。テレビで注目されて更に情熱を燃やし、大学そっちのけでクラシックバレエを習得。プロダンサーの道が現実味を帯びる。しかしインド人で、かつスタート年齢が遅いマニーシュにダンス界は厳しい。失敗しても潰しは効かない。両親や妹の世話もしなければならない。彼は葛藤の末、背水の陣で世界のダンス・カンパニーに挑む。
『コール・ミー・ダンサー』はダンスで身を立てようとする青年を追うドキュメンタリー映画。ダンスのみならず人生の師ともなる人物との出会いや、ライバルとの切磋琢磨、家族との難しい関係、成功と失敗の連続など、往年のダンス映画の要素も強い。しかし、マニーシュに突きつけられる現実はあくまで過酷だ。年下のライバルには到底かなわず、バレエ・カンパニーの扉は固く閉ざされる。彼ほど才能豊かであっても、いや豊かだからこそ、彼を阻む人種や年齢の壁が際立って見える。
もっともマニーシュ自身は(そして監督自身も)「人種や宗教を気にしていたら成長できない」と言う。ダンスのスキルさえ磨けば道は開かれると信じているかのように。しかし例えば、キブツのカンパニーでは、少なくとも画面に映る範囲では有色人種は彼ひとり。確かにその中にいる限り人種や宗教は関係ないのかもしれない。そこに入る段階で、人種や宗教や年齢によって容赦なく選別されるのは明白だ。マニーシュ個人の意志や努力に注目し、感動してしまうと、その不均衡な構造が見えなくなる。
マニーシュに限らず、またダンス業界に限った話でもなく、芸術やスポーツの分野で身を立てることの難しさを痛感させられる。マニーシュの場合、大学を卒業して「良い就職」をするか、それを棒に振ってダンスの狭い門に挑むかの二択を迫られる。どちらも不可逆的でやり直しが効かない。しかもマニーシュが棒に振るのは自分の人生だけではない。彼の教育にすべてを賭けてきた両親の老後と、彼のサポートなしには結婚すらままならない妹の将来も掛かっている(インド文化における長男の責務は大きい)。そこまで犠牲にする覚悟がなければ芸術に取り組めないとは、なんと残酷なことか。
それでもマニーシュは恵まれた方かもしれない。ダンスの情熱と才能、恩師イェフダが持つ世界的コネクション、パトロンになってくれたマリアムの経済的支援があるからだ。当然ながらそこまでの条件を揃えられない、多くのマニーシュがおそらくインドのみならず、世界中にいる。
この状況はヴァージニア・ウルフの「自分ひとりの部屋」という言葉を想起させる。女性が男性に比べて作家になりにくい(あるいは専業の作家になりにくい)のは不可視化された無償の家事労働に多くの時間を奪われいるからであり、何にも煩わされない「自分ひとりの部屋と年収500ポンド」があれば、より多くの女性が作家として活躍できるはずだ、という説だ(年収500ポンドは当時の中流階級の生活を賄うのに十分な額だったようだ)。これは今やイギリスの女性だけでなく、世界中の老若男女に共通の可能性になったようにも思える。また私たちが現在目にする芸術分野の著名人に、裕福な家庭の出身者が少なくないのもウルフの言葉を証明しているだろう。
マニーシュの恩師イェフダもかつてはプロダンサーだった。現役時代はテルアビブのダンス・カンパニーでプリンシパル(主役級)を務め、引退後は世界トップクラスのダンサーたちを指導してきた。しかし晩年は働き口がなく、インドに来ざるを得なかったようだ。75歳でひとり暮らしの彼は頼れる身内がおらず、地域に友人もいない。本人は危機感を持っていないようだが、遠からず何らかのケアが必要になるのではないか。
このイェフダの晩年の過ごし方には、どんな優れたダンサーでも第一線で活躍できる期間が短く、より長くなる引退後の身の立て方が困難なことも影響しているだろう。プロスポーツ選手に共通の課題だ。その点でマニーシュの、あるいはダンサーたちの将来なり得る姿とも言える。自分のスキルひとつで身を立ててきたのだから、引退後の世話も自分でしろ、ということか。だとしたらやはり残酷なことだ。ここでもやはり、ウルフの「自分ひとりの部屋」の有効性が見えてくる。
インドの人々にとって、ダンスは神への祈りだという。だからダンスで生計を立てるという発想がない。それは逆説的に、裕福な家庭で幼少期から英才教育を受けてきた一部の人たちだけが、ダンスで生計を立てる道を独占してきたとも言える。その陰で潰えたダンスの才能がどれだけあっただろうか。「自分ひとりの部屋」は、そんな無数の才能を開花させ、世界をより豊かに彩る可能性を秘めている。
(ライター=河島文成)
『コール・ミー・ダンサー』
公式サイト:https://callmedancer-movie.com/
11月29日(金)新宿シネマカリテほか全国公開。