古今東西を問わず、兄弟は不思議な関係である。
なんて、偉そうな書き出しをしているが、私は一人っ子のためそのあたりはよくわからない。だが、いろんな人間ドラマが兄弟に存在するのは、映画やテレビ、そして小説などを読むとよくわかる。それらの原点にして最高峰が聖書に記載されている。「カインとアベル」の物語である。
物語は至極単純。神の前に捧げ物をした兄弟のうち、アベルの捧げものに神が目を留め、カインのそれを退けられた。それに怒ったカインが弟アベルを殺してしまうという、史上初の兄弟げんかにして殺人事件、さらにバッドエンド物語となっている。
この物語を読んだ多くの方が、こんな疑問を抱くだろう。「どうして神はアベルの捧げものだけに目を留められたのだろう?カインの何がいけなかったのか?」
この問いに対する回答は大きく4つに分けられる。以下にそのダイジェストを列挙してみよう。
①カイン粗雑説
カインは地を耕す人となった。アベルに関する記述では「羊の初子を、それも最良のものを」と加えられているのに対し、カインはただ「持ってきた」とあるだけ。ここから相対的に「カインは適当に作物を見繕って持ってきた!」とうがった解釈をする者たちが出て来てしまった。確かにアベルにはそういった丁寧な記述があるのは認めるが、だからといってカインが「適当」「粗雑」であったということにはならないはず。しかしこのような描かれ方は、意外に日曜学校などで用いられている。これは問題である。カインは確かにその後に弟を殺しているため、犯罪者となってしまうが、だからと言ってその前段階で彼が「粗雑だった」とは言えないはず。そう、泣くな、カイン!君の思いはきっとわかってもらえるはず!
②アベルの職業優位説
一方、アベルの描かれ方で私たちが目くらましを受けてしまうのは、彼が羊飼いを生業(なりわい)としているというところである。クリスチャンは連想ゲームが大好きだ。「羊飼い=イエス様」という単純な連想ゲームは、単なる偏見しか生まない。よく考えてもらいたい。旧約聖書はキリスト教徒の聖典である前に、ユダヤ教徒にとってのそれであるはず。その枠組みで考えるなら、一般的にはカインの方が優れているはず。なぜなら、父アダムの仕事(地を耕すこと)を継承しているからである。ユダヤ教の枠組みでは、父の仕事を子が継ぐというのが最も正統なあり方である。むしろそうならなかったアベルの方が非難の対象になるべきである。旧約聖書に新約の福音主義を持ち込んで、偏った解釈に陥らないためにも、旧約聖書の枠でもう一度両者のあり方を見てもらいたい。そうなら、どちらが正しいか、一目瞭然!しかし聖書の記述は変えられない。やはりアベルの捧げものにこそ神は目を留めている。泣くな、カイン!君の無念は、きっと晴らしてもらえるはずだ!
③ちょっとリベラルチックな解釈
アベルの記述に関して、疑義をさしはさむ学者たちがいた。それは、「創世記4章4節の記述に、後世の書き込みがある」という主張であった。少し見てみたい。
【新改訳2017】
4:4 アベルもまた、自分の羊の初子の中から、肥えたものを持って来た。【新改訳改訂第3版】
4:4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【新共同訳】
4:4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。
それが下線の部分である。特に罪深い(?)のは第三版。「それも最上のもの」なんて書き方をされると、どうしてもここに注目が集まる。これは出来レースだ。ここの箇所を聖書編集史的に考察した神学者たちが、これは写本時代に誰かが書き加えたものだ、と主張し始めたのである。
だがそうなると、聖書の記述そのものでこの物語を判断するというルールそのものが破られてしまうため、フェアとは言えない。リベラル的に「おもしろ解釈」は成り立つが、そんなことは「象牙の塔」で議論してもらえばいいことであって、ここではあまりインパクトがない。そう、泣くな、カイン!君を擁護する道は他にあるのだ!
さて、最後に一つ、残された解釈方法がある。
おっと今回の紙面がもう尽きてしまう。編集者のYさんからの催促も厳しい。だから第四の解釈にして、解決編は、次回にお伝えすることにする。
え?それじゃ俺の無実が晴れないって?ちょっとだけ待ってくれ、カイン。泣くな、カイン!(つづく)