約一か月前のことである。わたしたちが休暇から家に戻り、気分転換し「さあもう一度がんばろう」と思っていた時、電話がなった。夜の10時頃だった。電話の相手は、わたしが26年間も牧会をしている婦人からの電話だった。わたしがこの教区の担当牧師を始めた時、彼女は12歳だった。今、彼女は38歳である。わたしが彼女に堅信礼を授け、結婚式もあげた。彼女が離婚する時・数回の死別の時・失望の時・自殺未遂を行った時も一緒に過ごした。彼女が教会の指導者として任命式を行い、彼女が教会を一年間去った時も寄り添い、彼女が翌年戻ってきた時には、ドアを開けて迎えた、彼女と共に祈り、彼女の話に耳を傾けた。その夜に彼女の電話を聞きながら、わたしは「26年間も牧会してきたのに、彼女は少しもよくなっていない」と感じた。電話を切った後に、わたしの妻ジャンはこう言った。「誰からの電話なの」「レジーナからの電話だよ。わたしたちは彼女には手を焼いたね?」そこで、妻のジャンは「カワセミを覚えている?」と言った。
カワセミ。そう、わたしもカワセミを覚えていた。わたしたちはモンタナ州にある湖の湖岸に長い間座って、カワセミが魚を捕るのを待っていた。カワセミ(Kingfisher)はまさに「魚を獲る(fish)」ことにかけては「王様(king)」だった。漁の名人、魚を獲る方法を知っている鳥だった。このカワセミは魚を獲るために湖畔にある枯れ枝にじっと座っていた。カワセミが魚を獲る様子は、眺めていて楽しいものだった。何度もカワセミは水面に急降下したが、27回、魚を獲ることが出来なかった。何度も何度もカワセミは失敗し続けた。 ―― そして28回目で、そのカワセミは小さな3インチの魚を獲ったのだった。妻のジャンが「カワセミを覚えているか」と尋ねたのだ。わたしは「覚えているよ。 ―― 僕たちは僅(わず)か26年しかまだ経っていないからね」と答えた。
「霊的な形成」のためには、前提にしなければならないことがある。それは、このカワセミが示していることである。急いではいけない。急げば、必ずうまく行かない。「霊的な形成」とは多くの失敗で特徴づけられた無秩序で冗長なものなのだ。 ―― あなたの足元の土を掘り起こすように、関りが与えられた人々・自分の教会員やあなた自身の人生を掘り進めなければならない。神による創造と契約が「霊的な形成」を形作ってくださることを待ちながら、現場に固着し独創的に行わなければならない。
わたしの心には僅かな疑いも今まで一度もなかつた。あなたがたの中で偉大な御業を始められた神はキリスト・イエスが現れるその日までにそれを守り、栄華を極めた最後をもたらしてくれる。
―― フィリピの信徒への手紙1章6節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。