10月3日「プライドを罪と認識する」

 「プライドはどこから見ても美徳だ」という考えを持ってしまうと、それが罪だとはなかなか思えなくなる。「プライドは役に立つ」と力説されたり、「業績によってプライドが得られる」と言われると、やはり「プライドが罪だ」とすることは難しくなる。聖書は「根本的な罪・原罪」をどう説明するのだろうか。「自分の力に頼る罪」とか「自分を神とする罪」あるは「目前にあるものを自分の物にする罪」などは、今や「根本的な知恵」と言われている。「可能なあらゆる手段を用いて自分を向上させなさい」あるいは「どのような犠牲を払おうが前進せよ」という「知恵」が語られている。確かに、それは暫(しばら)くは役に立つ。だが、最後は悪魔の手に落ちてしまう。その先には破滅があるだけである。
 

自分のやり方をみんなの前に見せびらかすな。自分のやり方で目立つようなお世辞を言うな。あなたは自制して、他の人を援助し、先に進ませなさい。自分の利益に没頭してはいけない。手助けするために、しばらくの間、自分のことを忘れなさい。
 ―― フィリピの信徒への手紙2章3~4節

   *引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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