主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、伝道者の書の9章です。よろしくどうぞ。
創世記 39章19節
彼の主人は、「あなたの奴隷がこのようなことを私にしました」と告げた妻のことばを聞いて、怒りに燃えた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ヨセフはエジプトの侍従長ポティファルに買われ、奴隷となりました。しかし奴隷とはいえ待遇は良かったようで、ポティファルはヨセフに自身の全財産の管理を任せました。ヨセフはぽティファル家の家宰のような立場になりました。
しかしヨセフの家宰生活も順風満帆というわけにはいきませんでした。ヨセフはいわゆるイケメンであり、しかも能力もあるのでポティファルの妻に気に入られました。ただ気にいるだけなら良かったのですが、その妻はヨセフにしきりにいわゆる「体の関係」を求めて誘惑しました。ヨセフはその誘惑を断り続けましたが、しびれを切らした妻はある時、誘惑が断られると大声をあげて助けを求め、「ヨセフが私を襲いました!」と嘘をついてヨセフを陥れてしまいました。ヨセフは主人の妻に手を出そうとした罪人として投獄されることになってしまいました。
男女の密室のできごとというのは、大抵の場合は目撃者がいないものです。そこで何があったのかは当事者の証言を信じるより他にありません。この場面でのポティファルも「妻のことばを聞いて、怒りに燃えた」とあるように、自分で目撃したわけではなく、妻の言葉だけで怒りを抱き、ヨセフを投獄しました。
最近、週刊誌で大物芸能人の女性スキャンダルがすっぱ抜かれて話題になっていますけれど、こういう話題というのはヨセフの例と同じく、目撃者はおらず証言によってしか事実を知ることができないですから難しいと思います。女性側と男性側で証言が食い違う場合、どちらを信じて良いかの判断はきっと裁判官であっても難しいことでしょう。まして週刊誌の記事やテレビの報道でしか情報を得ない僕たちにとって、その判断をすることはほとんど不可能なように思えます。そもそも裁判官でもなんでもないほとんどの人たちにとって、その判断をする必要自体がないわけです。しかし、現実を見るとその週刊誌の記事やテレビの報道だけで、多くの人がどちらかの判断をし、そして男性を非難したり女性を非難したりしています。
妻の「言葉」だけでヨセフを無実の罪で投獄したポティファルと同じ過ちを、現代社会もまた犯しているんです。もちろん例のスキャンダルにおいて、僕はヨセフの例のように「女性が男性に濡れ衣を着せている」と言っているわけではありません。僕が指摘しているのは、わからないこと、わかりようのないことを勝手に判断して人を非難したり懲罰したりする姿勢についてです。
男女の密室での出来事は、まさに「秘めごと」。秘められている故に外から様子は伺い知れません。だからこそ様々な憶測が働くのでしょうし、人によっては想像力をたくましくしてしまったりもします。が、だからこそそこであった出来事について判断するのは至難の業。誰にとっても簡単なことではありません。そして今も昔も、人間は「秘めごと」に悩み、そこでの出来事に大きく人生を左右されてしまいもするんです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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