神様の力を「予想できる範囲で」期待してはいけない【聖書からよもやま話448】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、 マルコの福音書の16章です。
なんと二日連続でほぼ同じイエス様の復活シーンです。こんな巡り合わせもあるものですね。
よろしくどうぞ。

マルコの福音書 16章3〜4節

彼女たちは、「だれが墓の入り口から石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げると、その石が転がしてあるのが見えた。石は非常に大きかった。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

イエス様の弟子であったマグダラのマリアたちは十字架で死んでしまったイエス様の遺体に油を塗るためにお墓に向かっていました。彼女たちには一つ心配なことがありました。それはお墓をふさいでいる大きな石を自分たちの力では動かせないだろうということでした。それで「あの石をどうしよう?誰か力持ちな人がいて動かしてくれるといいけれど。いなかったらどうしよう?」とあれこれ考えていました。

しかし、お墓に着いてみると、懸念材料であったその石はすでに転がされていました。そして彼女たちは天使から「イエス様はもうこのお墓を出ていきましたよ」と告げられたのでした。

僕たちも何かにつけてあれこれと悩みます。まだ事は起こっていないのに「これが起きたらどうしよう?できなかったらどうしよう?」と悩み、ためらいます。しかし、神様にとってはこの大石を動かしたように、僕たちの抱えている問題なんてあまりに簡単なことです。神様の力が働くとき、僕たちの悩みなんて跡形もなく消え去ってしまいます。そしてそこに残るのは僕たちが予想もしなかった結果です。

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UnsplashBen Karpinskiが撮影した写真

だってマリアたちはイエス様にせめてもの弔いを、と油を塗りに行ったのに、イエス様が生き返ったことを知らされたんです。絶対に予測していなかったことでしょう。そもそも石が転がされていることだけでも、予想外のことだったでしょう。彼女たちはせいぜい「きっと神様が力持ちの人を用意してくださるよ」くらいしか、神様に対しても期待していなかったんじゃないかと思います。そしてまさかイエス様が復活することなんて、頭の重箱の隅にだって、考えていなかったと思います。

僕たちもまた、何かについて祈る時にそんな祈りをしていないでしょうか。自分の常識の範囲、予想できる範囲で「こんな助けを与えてください」と祈ってはいないでしょうか。それは心のどこかで「神様のできることはこのくらいだろう」とタカをくくっているのと同じです。

「神様に期待します」と言いながら神様の可能性を限定するような祈り。僕もよくしてしまっています。しかし神様は僕たちの予想をはるかに超えた「神様らしい」やり方でご自分の意思を実行される方です。「神様に期待する」とは、その予想外のとんでもないことを受け入れる覚悟を持つということでもあるんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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