「専業」は「兼業」よりもエラいのか。【聖書からよもやま話426】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、 コリント人への手紙第一の4章です。よろしくどうぞ。

コリント人への手紙 4章12節

労苦して、自分の手で働いています。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

牧師というと、世の中のイメージでは毎日教会にいて、牧師の仕事に専念していると思われているかもしれません。そういう牧師さんもたしかに少なくはありませんが、みんながみんなそうではありません。普段は会社勤めをしたり、何か他の仕事をしながら、牧師の務めを果たしている方もたくさんいます。牧師というと「生活には困らない仕事」みたいに思われているところがあるかもしれませんが、実際はギリギリの生活をしている方も多いんです。

これ、実は牧師に限ったことではなく、お寺のお坊さんや神社の宮司さんでも同じだったりします。お寺のことだけをして生活ができるお坊さんは「恵まれている」方です。神社のことだけをして生活ができる宮司さんも「恵まれている」方です。牧師も、神父も、僧侶も、宮司も、世の中のイメージほどには「生活には困らない仕事」ではないんです。

それは聖書の時代でも同じことで、パウロも宣教活動だけに専念できていたわけではなく、生活のために他の仕事もしていました。どうもテントを作る仕事をしていたのだとか。イエス様だって、33年の人生の最後の3年間だけは救い主としての務めに専念しましたが、それまでは大工さんとして生計を立てていました。

image

UnsplashYogi Purnamaが撮影した写真

僕もこうして日々コラムを書いたり本を書いたりしていますが、とてもそれだけでは生活できませんから、行政書士の仕事をしたり、他の仕事をしたりして生活しています。僕に限らず、僕のまわりでキリストに仕える務めをしている人の多くは、他に生活のための仕事をしながら務めを果たしています。

でもそれもまた、神様からの恵みかと思います。人間が生きるには「日々の生活」をしなければいけません。その「日々の生活」の苦労を知っているからこそ、現在進行形で体感しているからこそ、伝えられることもあるでしょう。もちろんだからと言って、牧師や神様の務めに専念している人がダメだなんて言う気はまったくありません。専念している方には、専念しているからこそ伝えられることもあるでしょう。ただ少なくとも、専念している人が専念していない人よりも「えらい」わけではありません。

それは専業主婦(夫)が兼業主婦(夫)よりも「えらい」わけではないのと同じです。どちらも自分が置かれた環境と立場において、全力で家庭を維持・運営しているのですから、そこに優劣なんてありません。自分が置かれた環境と立場において、全力で務めるか否か、というところをこそ、神様は見ているのかと思います。

スーパーマンだって実は専業スーパーマンではありません。普段はクラーク・ケントという一般人として生活し、いざというときにスーパーマンになります。ウルトラマンだって仮面ライダーだって戦隊ヒーローだって、だいたいそうです。専業のヒーローっていざ考えてみると意外と少ないものです。みんな他の仕事をしながらヒーローをやっています。きっと、だからこそ愛されるヒーローなんだと思います。

クリスチャンには「牧師には他の仕事なんかせずに、牧師の仕事だけに専念して欲しいし、そうであるべきだ」と考える方も少なくないようですが、パウロだって他の仕事で自分の生活費を稼いでいたのだということは心のどこかにでも留めておいていただきたいと思います。もしかしたら「牧師」というのは「生き方」であって、いわゆる「職業」ではないのかもしれませんね。それは「クリスチャン」というのが「職業」ではなく「生き方」なのであるのと同じように。

はたして僕は自分が置かれた環境と立場において、全力で神様の務めを果たしているでしょうか。まだまだ。あまりにまだまだだと思います。疲れますもの。サボりますもの。たるみますもの。弓の弦のように常にピンと張って、福音の矢を飛ばしたいと思ってはいても、明らかに時々たるんでいますもの。むしろ時々しかピンとしていませんもの。「行政書士の仕事もあるから仕方ないじゃん」なんて言い訳でしかありません。でもそんな言い訳を日々しながら生きているのが、僕の隠さぬ姿です。少しずつでもピンと張る時間が長くなりますように、神様が整えてください。アーメン。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

【メールマガジン始めました】
クリプレのメールマガジンが始まりました。日々、クリプレの最新記事を皆様にお届けいたします。無料でご利用いただけますのでよろしければこちらのリンクからご登録くださいませ。

【おねがい】
クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

この記事もおすすめ