神様の住宅事情【聖書からよもやま話281】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、列王記第一の8章です。よろしくどうぞ。

列王記第一 8章27節

それにしても、 神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ソロモンは神様のために史上稀に見るほどの立派な神殿を建てましたが、「その神殿にさえ、神様を入れることはできない」と言いました。神様は地上のどんなものにも、入れることはできないということです。

人はつい、神や仏などを形あるものにしたいと思ってしまうものであるようです。たとえば神社をつくってそこに神様を住まわせてそれを拝むだとか、仏像をつくってそこに仏様を入れてそれを拝むだとか、日本でもよく行われています。しかしキリスト教では立派な建物も、立派な像も、あくまでただの物質に過ぎないと考えます。そこに神様が宿ることはありませんし、その物質自体がなにか神聖なものになることもありません。木材が人の手によって神様の像になっても悪魔の像になっても、それは木材でしかなく特別な意味は持たないということです。

神様はあまりにも大きな存在ですから、人間の作り出すどんな器にも入り切るものではありませんし、神様は全能の方ですからご自分が存在するために人間の力を必要とはしません。人間がお供物をしなければ飢えてしまうなんてことはありませんし、人間が祈らなければ消えてしまうということもありません。神殿がないと居場所がなくて困る、なんてこともないわけです。
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ではどうしてソロモンは神殿を作ったのでしょう。それは「神の名をそこに置くため」と記されています。つまり神様の偉大さを褒め称えるためであって、神様をそこに閉じ込めるためではないんです。神様を立派な建物に「安置する」と言えば聞こえはいいかもしれませんが、それは言い方を変えれば神様をそこに閉じ込めるということです。ソロモンはそうではなく、僕たちが神様の名を讃えて祈ったり歌ったりするのと同じように、その名を讃えるために神殿を作ったんです。ですからその神殿がたとえ壊れても神様はびくともしません。

建物や像などの物質に「神が住んでいる」と考えれば、人間はその物質に対して祈らなければならなくなります。しかし本当の神様は物質に住むことはありませんから、僕たちクリスチャンは物理的な制約に縛られず、どこででも祈ることができます。祈る場所は自分の部屋で十分ですし、聖書でもそれが推奨されています。祈るためにわざわざどこかに出かける必要はありませんし、家に祈るためのグッズを用意する必要もありません。これは非常に恵まれたことです。神様が物理的なものに宿らないということは、僕たちも祈るために物理的なものを必要としないということですから、非常にリーズナブルで合理的だと言えます。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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