盛岡に来て土日は教会での奉仕、平日は付設の認定こども園でのチャプレンという生活をしていました。教会でもこども園でも「牧師先生」という肩書きがついて回るのと、こども園もキリスト教保育の園であったので、週7日、キリスト教に理解のある人たちの中で過ごすことになりました。
それはそれで心地よいものです。聖書のみ言葉を突然出しても戸惑われないし、「牧師・伝道者」として扱ってもらえます。しかし、私は神学生時代に意識的にしていたことがありました。それは、教会に触れていない人たちと積極的に交わるということです。神学生のするアルバイトといえば、教会の掃除や神学校の図書館、キリスト教関連施設であったりしますが、私はチェーン店のファミレスや地元の保育園などに積極的に出ていきました。「教会の牧師を目指しているんですか?」――そんな仕事中の会話一つから、誰か一人でも教会につながらないかなと祈り願っていたからです。
盛岡でも、教会と附属こども園以外に地元との人とのコネクションを持てないかと模索しました。しかし週7日奉仕をしていたので、これ以上仕事を増やすのは不可能。そこで車生活で運動不足が気になっていたこともあり、地域のテニスクラブに入会することにしました。テニスは神学校のテニスコートで遊び程度に数回した以外、ほぼ初心者です。
さっそく入門コースに入会すると、地元の中高生たちと少し年上の男性。皆と少しずつ仲良くなり、中高生たちとは旅行のお土産のやり取りをする間柄になり、年上の男性とは次第に家族ぐるみの付き合いとなりました。マンガ『聖☆おにいさん』ではありませんが、地元のお寺の同い年のお坊さんと一緒にテニスをしたり、みなさんテニス以外の知り合いを紹介してくださったり、盛岡での交流はどんどんと広がっていきました。
神学生時代の夏期伝道実習先の信徒の方に言われて今でも覚えているのが、「ぜひ地方に行ってほしい」という言葉でした。それは「最初は地方で揉まれて来いよ」というようなものではなく、「そこへ旅行に行く口実ができるから」というものでした。
この方以外からも赴任後、「先生、盛岡ですか? じゃあ、盛岡に行ったことがないので旅行がてら先生の教会に行きますね!」とおっしゃってくださり、実際に新幹線で盛岡にお越しくださる方が何人もいらっしゃいました。そのたびに教会を案内したり、盛岡の街を案内したりするのですが、イエスさまのご紹介をする務めと同時に、まるで盛岡を紹介する務めをも担ったようでした。
私があるラジオ番組に出演し、証しやキリスト教保育について語ったことがあったのですが、その番組を聞いてはるばる会いに来てくださるリスナーの方もいました。地方に遣わされることで、関係する人たちが新しい旅行先を得る、盛岡という地に親しんでくださるという、地方に遣わされることの副次的な喜びを発見しました。
「招き、紹介する」。そのことを通じて自分が毎朝、祝福を祈るこの地に愛着がわき、より一層この地で主が示す成すべきことを成し遂げたい、そう思わされるようになっていきました。さしずめ、もう〝ここ〟の人間になった気分です。
おぐら・ひとし 1977年東京都生まれ。サラリーマン時代は仕事の後にMBAを学びに行くほど経営や経済に夢中だったのに、ある時聖書に出会い35歳で受洗。約20年のサラリーマン生活を捨てて東京神学大学へ編入学。同大学院修了後、日本基督教団舘坂橋教会、2023年度より日本基督教団本牧めぐみ教会に赴任。好きなことは子どもに関わることとテニス。